受験勉強

僕はこれまで受験勉強で失敗したことがありません。中学受験や大学受験と就職活動においても第一志望に合格してきました。高校は中高一貫だったこともあり、そのまま進学しました。

これから学歴なんて不問な時代が来るといわれていて、それは自分でも認識しています。でもやはり学歴があった方が入り口が広いということは事実としてあります。

尊敬するローランド様が、学歴について非常にしっくりくるコメントを残していました。

学歴とは?

飛行機の座席。ファーストクラスは勿論快適に目的地に着くけども、着いてしまえば誰がファーストクラスで来たかエコノミークラスで来たかなんて分からない。大事なのはその目的地でどう過ごすか。ファーストクラスで来たからって幸せな旅行になるとは限らないからね!

これは本当にそうであると、しかもかなりうまく例えていると思う一方で、ビジネスクラスやファーストクラスにおける快適さはとんでもないです。その快適さの中で胡坐をかくか、もうひと踏ん張りできるのかの差が出てくると思っています。

結論、僕個人としては学歴が全てではないが、可能性を狭めずに済むのも学歴があるからだと考えています。正直、勉強すればだれでも手に入れることができるので、一番簡単で手っ取り早いものではないでしょうか。

社会には答えのない、先の見えないことが待っています。でも受験勉強には必ず答えが用意されています。だから勉強すれば答えに行きつくことができます。

そしてここに学歴があるから、必ず成功するわけではない。ということが潜んでいるような気がする。答えがある問いに対して、論理だてて答えを導くというトレーニングを詰めていても、答えのない・見えない領域にどうやって取り組んでいくのかに慣れていない。トレーニングを積んでいないということがある。

つまり手っ取り早い話、学歴を残しておいて、自分なりに触れることのできる世界を広げておけばいい。だとすると、勉強すれば習得できる学歴をとっておいて損はないということです。

そして勉強は能力のあるなしではなく、どう勉強するかということが大いに左右すると思っています。

僕には小学生時代に勉強に付き合ってくれた父の教えが自分に色濃く残っています。これについてはまた今度。

つまり受験勉強でうまくいって、第一志望にいくことは人生のゴールではありません。その後何ができるか、何を学べるかです。ただ見える世界・触れることのできる世界は広く、それによって可能性を広げることはできます。

勉強ができるということは、答えが用意されている問題を解くことができるということで、決して答えの見えない世界でもうまくできるということを意味していません。

でも逆に考えると勉強のできない人は、答えがすでに用意されていて、その解き方も準備されているのに、それすらできないとも言えます。登山道がある山の登頂ができないに等しいです(もちろん山の険しさのレベルには寄る)。

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