大義

こんばんは。コロナウイルスの影響もあり、自粛が続く中、何をして過ごされていますか?こう聞くと大半の方は答えることができます。人間は自分が何をしているかということは正確にわかります。ゲームをしていたとか、読書をしていたとか。これができない人はいません。しかし、「なぜそれをしていたの?」に質問を変えると答えに詰まる人が多いと思います。今なら「暇つぶし」と即答する方もいると思いますが、暇をつぶすほど勿体ないことはないんじゃないかと思います。

話を大きくすると、「なんでその仕事をしているの?」という質問に置き換えることができます。正直、証券界時代のぼくはこれに答えることができませんでした。「よくどんな仕事をしているのですか?」と質問を受けた時には「金融法人向けに円債の運用を提案しています」と答えていました。これは「自粛期間中どう過ごしているの?」ときかれて、「ゲームしています」とほぼ同じです。お金を稼ぎたいとか運用を通じて、発展途上国のインフラを整備するんだとかそういう想いが特に見つかりませんでした。これはいわゆる大義がなかったと今では振り返っています。

僕はプロサッカー選手も同じだと思っています。大学時代の僕はプロサッカー選手になるために必死に練習してきました。日本一になりたいという想いで筑波大学蹴球部に入部し、目標はいつしか具体的にプロサッカー選手になることにシフトしていきました。しかしプロにになって、日本代表になって、日本サッカーを背負うという人間が集まる世界に、プロサッカー選手がゴールの人間が通用するはずもありません。僕は必然的にプロサッカー選手になれませんでした。

自分が一番うまくて、プロサッカー選手になった選手もいると思います。でも聞いてみたいことがあります。「なんでプロサッカー選手という仕事をしているのか?」あんまり聞いたことのない質問なので、一度聞いてみたいと思います。

僕の同級生である東京Vの奈良輪選手には、聞いたことがあります。彼は「生きていくため」と即答しました。自分の一番得意なことで、勝負できる仕事がたまたまサッカー選手だったということです。なので、通用しないと思った瞬間に引退して、新たな世界を探しに行くと。奈良輪選手らしい簡潔でストレートな回答でした。僕はそんな奈良輪選手を昔から尊敬しています。

で、自分は一体どうなんでしょうか。証券会社時代の悩みは心が震える瞬間がなかったことです。大きい取引を決めても、昇進してもそこまでガッツポーズをする瞬間はありません。でも去年のモンテディオ山形戦で慎也さんが同点ゴールを叩き込んだときは自分でも引くくらいガッツポーズをしました。「心震えるフィールドに身を置きたい」「ホンモノに出会い、自分を磨きたい」こういう想いでサッカー界に飛び込んできて思うのは、やはりサッカーには心揺さぶられるものがあるなということです。

アップルやナイキがなぜあんなに人気があるのか。この大義がはっきりしているからだと思います。これはFC琉球というクラブ(この話はまた次回)も、僕個人も全く同じであると思います。

ゴールドマンサックスに就職したところからの成長は大学の4年間に比べると幅が狭かったように感じるのは、「日本一になりたい」という想いで蹴球部に入ったのと、入社することである程度の満足感を得てしまっていたゴールドマンサックスの違いかなと思っています。

FC琉球にきてからは、慣れないことも多く、目まぐるしく訪れる日々により、しなければならないことが多く、客観的に「なんでこれをしているのか?」と自問する時間が極端に少ない一年でした。

「心震える仕事を通じて、一流になる」ために何ができるのか、はっきりと勝負できる世界を追求していく必要があるのではないかと考えています。僕はこのサッカーという世界は日本の数ある業界の中でも一流が揃っている世界だと思っています。

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