世界は広い

こんばんは。ふと中学生の時を思い出します。

少年三上のそばには、いつもサッカーがありました。正確に言うと、サッカーしかありませんでした。

小学校時代には地域の選抜にも選ばれていたこともありましたが、身長の全く伸びなかった中学時代はフィジカルの差が如実にプレーに出てしまいということもあり、力負けするようになっていきます。

そして思春期が訪れるのは、男子高校だったから遅いのか早いのかよくわかりませんが、大体中学3年生くらいになったころから、周りに出ていったような気がします。サッカー以外の者への興味が強くなる時期といった方がわかりやすいかもしれません。だるいとかめんどくせーにみたいな方がかっこいいような感じです。

でも成長期の遅かった自分にとって、その感覚はありませんでした。ここで少しずつ同級生たちとの距離が出てくるようになりました。つるまない僕に対して、いやなことをしてくる奴も出てきます。部活から帰ってきたら、ロッカーをけり壊されていたこともあります。度合いはひどくなかったかもしれませんが、「いじめ」です。

でも僕にはサッカーがあった。

サッカーしかなかったに近いです。でも誰ともつるまなかった分、練習する時間が誰よりもあった。だから気づいたら伸びていった身長とともに、いつの間にか高校生に上がるころには(中高一貫)、同級生の中では断トツで上手くなっていました。

そして気づいたころには、10人以上いた同級生も、僕を入れて3人になるまで辞めていきました。

だから高校時代にあんまり友達がいなくて、語れる思い出といえば、一人で壁当てをしていたという記憶しかありません。でもこの経験が後に良かったのか悪かったのかはよくわかりませんが、キックの精度が筑波に行っても通用するくらいになっていたのは、このモクモクと練習していた量があったからに間違いがありません。

今になって思うのは、ロッカーをぶっ壊していった奴にも感謝しています。そのおかげで誰よりもサッカーに集中することができたから、筑波で最高の仲間に出会えるきっかけになったから。この時間があったからこそ、筑波に行こうと思えたし、筑波でサッカーができました。

ロッカーをぶっ壊した奴に、同級生の結婚式で会っても、今では普通に話すことができます。なんならたぶんそいつはこわした記憶すらないかもしれません。やってる側からすると、そんなもんです。たぶん。

過去は変えられないと聞いたことがあるかもしれません。でも僕は今の自分次第で過去は変えられると思っています。きっと感謝に変えれる力を養うことができる日が来る。

そして、いじめについて思うのは、いじめてる人間が極端に悪なのかというと、そうでもないということ。答えは常にあり、答えは一つ、そしてその答えにどう進んでいくかも決まっているという教育の中で育ってきていると、自分が出した答えや回答方法と違う人に対して、違和感を覚えてしまうということだと思います。

その違和感を許容できるような多様性の中で生きていれば、もしかすると自分とは違う回答に対して、「面白い!そういう考え方もできるんだ!」と思うこともできるかもしれません。

社会に出れば、もちろん答えは一つではありません。何なら答え何て誰にもわからない。

そして僕はそんな多様性を与えてくれた両親やお世話になった先生たちに感謝しています。一つ言えることは世界は広いということです。



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