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「漢」と書いて「おんな」と読む

この文章は、榎本八千代さんの「美しくないことに対する言い訳」への返信です。マガジン「閉経☆姉妹の往復書簡」の方もフォローしていただけるとありがたいです。


生理ナプキンを仔細に見る
榎本さん、使い残しの生理ナプキン、どうぞ撮影に使って下さい。今度お会いするときにお渡ししますね。改めて生理ナプキンを写真に撮ってみましたが、前回も写真を撮った「エアfitスリム」の個別包装のパッケージには「自分をいたわってね。」とか、「今日の自分にお疲れさま」、「素敵な1日を」、「いい加減でちょうどいいよ」という「生理中の励ましメッセージ」が書いてあります。使っていた時はこんな文章の存在を気にもとめていませんでした。こんなふうに励まされたいもんだったですかね、生理中って。

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それから、「Center In(センターイン)」っていうナプキン(多分出先で生理になったことに気づいて、小さいパッケージを買ったのでしょう)が2つ残っていました。「エアfitスリム」と並べると半分以下の面積。ナプキンの構造の違い(吸収帯が中心にある)によるのだと思いますが、同じ性能を備えた商品を半分以下のサイズに畳めるようにしてしまう技術、凄いですね。まさに折り紙だ。

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生理があった時はほぼ意識しないで使ってましたが、改めて仔細に生理ナプキンを眺めたり、商品のウェブサイトなど見ていると、ナプキンを製造する各社は形状、素材、薄さ、パッケージ、ネーミング、香りやら、色々なバリエーション展開してるんですね。ナプキンのバリエーションについて、自分は余りにも知らなさすぎる気がするんですが、おそらくそれは生理が軽くて短期間で終わる体質だったからだろうと思います。だから、いろいろなナプキンを試してみるとか、多い日用・夜用の大きいナプキンって買った記憶がないのです。初潮を迎えたのが13歳ぐらいでしたが、10代の頃使っていたナプキンはそれなりの厚みがあって、三つ折りに畳まれているともっさりとした座布団のようだったので、昨今の薄くて、羽がついていたり、後ろに長かったりするナプキンの形状は、知らぬうちに独自の進化を遂げた生き物のような感じすらします。
あと、個別包装の柄や色のことも気になります。私は基本的に衣類や日用品はシンプルで素っ気ないものを好むのですが、生理ナプキンのパッケージは所謂ガーリーな柄というか、装飾多いなー、どちらかというとあんまり好みじゃないなーという感じ。私と同じように感じる人はそれなりにいるようで、最近は「素肌のきもち」という商品で、シンプルなデザインのパッケージのナプキンが限定商品として発売されたそうです。

「ナプキンにシンプルという選択肢を。」、「可愛らしいパッケージが定番の中で、ホテルアメニティのような上質な色合いのシンプルな選択肢の提案」なんだそうです。へー、こういうシンプルな方がいいな、生理ナプキンに限らず日用品のパッケージデザインって奥が深いなぁと思いました。女性のための商品の「らしさ」や「好ましさ」って一体どうやって形作られるんでしょうね。

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「漢」と書いて「おんな」と読む

榎本さんの20代の頃からのお話、興味深いです。生理について話をしだすと、来し方を振り返り、若い頃のファッション、風俗のことなんかも含めて思い出してしまうことになりますねぇ。(私としては、「バブル世代でありながら、ジュリアナで扇子を振りながら踊ることもなく、生きてきてしまった。」とか「髪を巻き髪にしてピンクハウスの服をきて街を闊歩する」のくだり、超ウケました。)私は、ここ10年ぐらいは髪型は常時ベリーショートで、いずれは坊主頭もいいかな、と思っているぐらいなんですが、90年代はロングのソバージュヘア(うわっ、懐かし)だった時期もありました。矢野顕子が好きだったこともあって「峠の我が家」ってアルバムがあるんですが、そのアルバムジャケットの髪型に憧れましたね。私の髪質はコシがない細い毛なので、彼女のようなボリューム感が出せず残念な感じでしたが。
あと自慢話になりますが、2001年に写真家のウィリアム・エグルストンが京都に撮影旅行に来た時に、1週間ほどアテンドしたことがあるのですが、彼の作品に磨りガラス越しに私の写っているものがあって、そのころは肩にかかるぐらいまでの長さです。

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そんなこんなで、我々は若い頃を振り返る「おばさん」になっている(「大人女子」とか、いつまでも「女子」言うてる場合ではないですよ、ええ。)わけですが、詩人の伊藤比呂美さんは、「漢は“おとこ”にあらず。おばさんと呼ばれる女たちこそ漢“おんな”である」と宣言し、『閉経記』の中で「漢」という字に「おんな」、「大漢」と書いて「おばあさん」とルビをふっていました。榎本さんの文章の端々から、「漢」の感じが迸ってますよ。

榎本さんがツレ様とご結婚されたのが20代後半とのことですね。私の20代後半は、長々と大学院生活を送り、その中で指導教官の教授からセクハラを受けて、大学に訴えるという経験をして(その教授は数年後、懲戒免職になりました。この辺りは話せば長いですが。。)、自分としては、女性として生きることの闘争の始まりを自覚した時期でした。フェミニズム、セクシュアリティに関連する本を読むようになったりしたのもこの時期じゃないかな、と。今も細々、しかししつこくその辺りのことを書いたり、言ったりしているのはこの時期の着火点のインパクトが大きかったからなんでしょうね。

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