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『中国摄影』 2019年12月号掲載「2010年代の日本の写真」

本稿は、中国の写真雑誌、『中国摄影』2019年12月号に掲載された「2010  年代的日本摄影(Japanese Photography in the 2010's:2010年代の日本の写真)」 の原文に加筆したものです。この号は、新世代の日本の写真家特集号で、特集の一環として寄稿させて頂きました。

アートフェアや写真祭の活況と写真家の活動の国際的な広がり

2010年代の日本での写真動向を振り返る上で、写真祭やアートフェア、アートブックフェアの果たしてきた役割は大きい。2008年にはPARIS PHOTOで日本の写真が特集されるなど、2000年代初頭から国際的なアート市場において日本の写真家の作品や写真集への関心は高まっており、その機運を日本国内でも醸成し、盛り上げるために写真に特化したアート・フェアが開催されるようになった。代表的なところでは、TOKYO PHOTO(2009-2014年に開催)や、代官山フォトフェア(2014年−)があり、代官山フォトフェアを主催する日本芸術写真協会(Fine-Art Photography Association)は、日本での芸術写真市場の確立と発展、若手写真家への支援と人材の育成、日本の写真家の国際的な認知度の向上などを目的としてギャラリーと出版社、書店が主体となって活動を展開している。
また、2009年に日本初のアートに特化したブックフェアとしてスタートしたTOKYO ART BOOK FAIRは年々規模を拡大しているし、写真集に特化したブックフェア「写真集飲み会」も毎回盛況を呈している。このような東京を中心に展開するフェアの活況と並行して、日本各地でKYOTOGRAPHIE(2013-)、六甲国際写真祭(2013-)、瀬戸内国際写真祭(2016-)、浅間国際フォトフェスティバル北海道フォトフェスタ(2018-)のような写真祭が地方都市、地域の活性化や観光の振興を図るアートフェスティバルの隆盛を結びつくようにして開催されている。
これらのフェアや写真祭に共通するのは、国際性を謳っていること、自主性の精神に根ざす部分が多いことである。国際性という点は、さまざまな国の海外の写真家の作品を紹介したり、国際交流を図ったりするだけではなく、ポートフォリオ・レビューや写真集の出版や海外での写真展開催を目指すワークショップやコンペティションのような、写真家が国際的に活動の場を広げるステップとなるプログラムが組み込まれていることが特徴的である。自主性は、それぞれの催しを企画する主催者側だけではなく、参加する写真家やギャラリー、出版社の姿勢にも表れている。従来から日本の写真家の活動は、カメラや関連機材の企業が運営するギャラリーや写真雑誌、大手の出版産業と密接に連動しているが、近年では赤々舎に代表される小規模な出版社や、自費出版で刊行される写真集が写真愛好家やコレクターの間で注目を集めることも増えている。また、若手のディレクターが運営するギャラリーや写真家たちの自主ギャラリーの活動が、国内外から注目される機会も増えている。
このような動向の背景には、ソーシャル・メディアの影響力や出版産業の変化がある。写真家は、編集者、デザイナー、販売代理者と協働しながら、既存の枠組みに拠らない出版・流通のあり方を独自に模索しながらネットワークを形成している。個々人の結びつきによって作り出される出版レーベルの活動は、出版社のような組織よりも、より自由で流動的で、国や言語圏に限定されることなく国際的な広がりを持って展開し、少部数で刊行される写真集はオンラインの書店で販売されたり、ニューヨーク、パリ、アムステルダム、香港のような主要都市で開催されるアートブックフェアを通して注目を集めたりしている。
このような自主独立的な出版活動を通して海外での活躍の場を広げている写真家として、伊丹豪(1976-)がいる。伊丹の作品は幾何学的で平面性を強調した画面が特徴的であり、出版レーベルRONDADEと協働して、『this year’s model』(2014)、『photocopy』(2017)を出版し、高い評価を得ている。美術家の野村浩(1969-)は、展覧会と連動して写真集やアートブックを数多く自主制作しており、そのユニークさとクオリティが注目を集めている。野村は写真のみならず、絵画やイラストレーション、グラフィック・デザインなどさまざまなメディアや技法を駆使して写真や知覚のあり方を主題にした作品を制作し、近年では写真やカメラをキャラクターとして描いた漫画『カメラー(CAMERAer)』(2018)を発表して高い評価を得ている。
アートフェアや国際的な写真祭の展開にも伴って、写真集出版のあり方は多様化し、刊行される写真集の種類は急増の一途を辿っている。今後は少部数で刊行される写真集を蒐集して、評価し、アーカイヴを形成し、広く閲覧に供するようなライブラリーのような機関や研究組織を作りながら、それらをいかに歴史的な文脈の中に位置づけ、後世に伝えるかということが大きな課題になってくる。また、そのような取り組みを行う上で、日本国内のみならず周辺国の写真家や出版社、研究者、キュレーターたちとの国際的な連携やネットワークを作り出すことが必要である。

東日本大震災以降の写真 
2011年3月11日に発生したマグニチュード9の東日本大震災と津波は、未曾有の規模の被害と福島第一原子力発電所の事故をもたらし世界中に大きな衝撃を与えた。震災直後はメディアを通して盛んに被害状況が報道され、放射能汚染に対する懸念から原子力発電事業に対する批判や抗議活動も盛んに行われた。現在も震災からの復興にははさまざまな問題が山積しているが、月日が経過する中でニュースに取り上げられることは極めて少なくなり、記憶の風化が危ぶまれている。震災以降の写真家たちの活動や美術館の取り組みは、震災からの時間の経過が社会や個人にとって何を意味し、状況がどのように変化してきたのかということを検証し、さらにこの先の社会のあり方を思い描く上で重要な意味を持っている。また、震災から4年後の2015年には第二次世界大戦の終結から70年の節目を迎え、平和安全法制の成立、テロや有事への危機感などを反映して、若い世代の写真家たちが独自の視点から戦争と核の問題に取り組んでおり、その姿勢は震災以降の写真の展開に重なるところが多い。
震災で甚大な被害を被った宮城県では、震災の発生から時間が経過する中で、被災の惨状を伝えるだけではなく、地域社会や個人の経験としての震災とその後の変化を辿り、記憶を共有することを目的とした展覧会が相次いで開催されている。宮城県気仙沼市のリアスアーク美術館では、自らも被災者である学芸員たちが協同して2年間かけて、甚大な被害を被った気仙沼や南三陸町のような周辺地域をくまなく記錄・調査し、約3万点の写真と約250点の被災資料を収集した。震災報道の中で大量に作られた「被災地以外の者による、被災者以外の者に向けられた震災のステレオタイプ的なイメージ」ではなく、被災者自身の生の声を反映した記録を残すことが、震災経験を地域の歴史の中に位置づけて伝承する上で必須であるという考えから、2013年には常設展示室「東日本大震災の記録と津波の災害史」が開設されている。宮城県仙台市のせんだいメディアテークは、地域の美術や映像文化の活動拠点として、震災の記憶を共有し、伝えるための展覧会やワークショップ、記録活動、上映会などさまざまな活動を継続している。写真展としては、志賀理江子(1980−)の「螺旋海岸」(2012)、畠山直哉(1958−)の「まっぷたつの風景」(2016)が開催された。津波で甚大な被害を被り、多数の死者が出た北釜地区で辛うじて逃れた志賀が手掛けた大規模なインスタレーションは、鑑賞者の中に人々の震災経験とその記憶、生と隣り合わせにある死の世界を想起させるものだった。畠山は岩手県陸前高田市の出身で、津波により実家の家族が被災して母親を失い、震災により風景のありようが一変したことや、震災から復興する中で景色が変わりゆく過程が展示の中で示された。

震災に関する写真家の活動は、被災地への支援活動に結びついたものも多い。高橋宗正(1980-)は、震災から2か月後に地域住民や若手の研究者たちと共同して「思い出サルベージ」プロジェクトを立ち上げ、津波で流されて散逸しダメージを受けた写真を、住民やボランティアの手によって、洗浄、整理、データ化して持ち主の手元に戻すことを目的とする活動を行い、2012年から修復も持ち主の同定もほぼ不可能な写真を展示する展覧会「LOST & FOUND PROJECT」を、日本国内及び世界各地で企画・開催し、記録集『津波、写真、それから』(2014)を刊行している。このような活動が国内外で周知され、震災や原発事故を主題とする多くの作品が公開され、注目を集めることでより広い視野から東日本大震災を捉える機運が高まっていった。

原発事故に関連して、核開発や第二次世界大戦後の日本の原子力政策などの歴史的背景を検証し、事故の背景に隠された人々の存在に目を向ける地道な試みも続けられている。初期写真術のダゲレオタイプで作品を制作する新井卓(1978−)は、2010年頃から核の歴史に関心を寄せ、震災後は福島沿岸部や原発周辺地域の撮影と並行して、世界初の核実験が行われたニューメキシコ州のトリニティ・サイトや、被爆都市、広島、長崎で核を象徴するモニュメントを撮影し、原発事故を核開発の歴史という文脈の中で検証している。震災を契機にフォトジャーナリストとして活動を始めた小原一真(1985-)は、原子力発電所で廃炉作業に従事する作業員たちを取材し、マスメディアでは伝えられることのない彼らの存在をポートレート写真とインタビューを組み合わせた写真集『Reset Beyond Fukushima』(2012)にまとめている(図7)。小原はその後、第二次世界大戦の空襲犠牲者への調査を行った写真集『Silent Histories』(2016)や、チェルノブイリの原発事故を主題とした写真集『Exposure/30』をいずれも少部数で刊行し、フォトジャーナリズムの新しい潮流を作り出す写真家として注目されている。


東日本大震災からから8年以上が経過しているが、今日にいたるまで日本各地でマグニチュード6を超える大規模な地震が発生しており、豪雨や台風のような自然災害も多発し、日本は常に自然災害の余波の中におかれている。そのような現状を鑑みても、震災の記記憶の風化に抗うために地道に記録を続ける写真家の活動を今後も注視するべきだろう。渡部敏哉(1966−)は、福島第一原子力発電所からわずか8kmしか離れていない帰宅困難区域に指定された実家のある浪江町周辺を撮影し、同じ地点で異なる時の2枚の写真を組み合わせたシリーズ「Thereafter」の制作を続けている。立ち入り許可を得て限られた時間を利用して渡部が撮影してきた浪江町は、震災直後は時間が止まったような様相を呈していたが、徐々に草木が生い茂り、景色の荒廃が進んでいる。渡部の作品は、震災とその後の数年間の時間の経過の中で、自然の力がもたらした変化が、私たちの社会にとって何を意味するのかということを静かに語りかけている。

女性の写真家・美術家の目覚ましい活躍と評価

2010年代後半以降の見逃せない動向として、女性の写真家の目覚ましい活躍がある。木村伊兵衛賞や伊奈信男賞、日本写真家協会賞といった写真賞を女性の写真家が立て続けに受賞したり、美術館で写真展が開催される機会が目に見えて増加している。1990年代に登場した若い世代の女性の写真家たちの活動が、一括りに「女の子写真」という流行現象のように名づけられたことが示すように、主流の価値観やものの見方を形作ってきた男性側から見て、表現活動に携わる女性を女流◯◯(画家、作家)という呼び方をしたり、「主流から外れる」「亜流」とカテゴライズするような意味合いを込めて、性別という属性で女性を評価する価値観は日本社会の中に未だに根強く残っている。しかし近年活躍する女性の写真家は、現代に深く結びついた歴史の問題に独特の視点とアプローチに粘り強く取り組んだり、「当たり前」とされてきた価値観に揺さぶりをかける作品を作り出したり、社会の中での女性のあり方、女性の身体に対する見方、ジェンダーに関する問題を考える上で重要な視点を提示したりしているという点から高く評価されている。
現代につながる歴史的な問題に粘り強く取り組んでいる写真家として、2019年に日本写真家協会賞の作家賞を受賞した石川真生(1953-)が挙げられる。石川は70年代から沖縄で米軍基地の問題や地域社会の人々を撮り続け、近年は「大琉球写真絵巻」プロジェクトに取り組み、今日まで琉球、沖縄が辿ってきた苦悩の歴史を写真で綴っている。藤岡亜弥(1972-)は、2013年から生活の拠点を広島に移し、原爆投下から70年余の歳月を経て戦争を体験した世代から遠く隔たった現代において、日常生活の中で戦争の表象としての「ヒロシマ」を考えるために写真を撮影し続け、写真集『川はゆく』(2017)にまとめている。岩根愛(1975-)は、ハワイへと移住した日系移民たちが伝承してきた盆踊り、とくに福島からの移民が伝えた「フクシマオンド」に導かれ、2006年から12年に渡って福島とハワイを時空を往還するように訪れながら撮影を重ね、写真集『KIPUKA』(2018)に纏めている。ハワイで移民労働者として働き、故郷から遠く離れた土地に葬られていった日系人の歴史と、東日本大震災で甚大な被害を被った福島県の現状をつなぎ合わせたスケールの大きな作品として高く評価されている。藤岡と岩根はいずれも木村伊兵衛賞を受賞しており、地域社会や人々との関わりから現在と過去との接点を探っていく彼女たちの作品制作のアプローチは今後も注視に値するだろう。


社会の中で女性がおかれている立場に独特のスタンスで対峙しているのが、インベ カヲリ★(1980-)である。インベは、2000年代半ばから被写体になることを望んで応募してきた女性たちと対話を重ね、突飛にも見えるような場面をセッティングして写真を撮ることで、「見られる対象」としての女性が抱える意識、感情の複雑なありようを差し出して見せるような作品を制作し、写真集『やっぱ月帰るわ、私。』(2013)や『理想の猫じゃない』(2018)を発表し、2018年に伊奈信男賞を受賞している。

「見られる対象」としての女性の身体に対して問いを投げかけるような作品は、写真を表現手段の一つとして用いる現代美術家の作品の中でも際立った存在感を放っている。現代美術家の片山真理(1987-)は、先天性脛骨欠損症により両足に義足を装着して活動し、自分の身体を介した世界との関わりを作品にし続けている。片山は身体の延長部分として付属するようなオブジェを制作して装着してセルフポートレートを撮影したり、写真とオブジェを組み合わせたインスタレーション作品を発表している。片山の作品は、身体的な障がいに対する見方や美にまつわる価値観に揺さぶりをかけ、国内外の展覧会で発表される度に鑑賞者に強烈なインパクトを与えている。女性の身体への眼差しに関連して、妊娠や出産、育児のような女性の生き方に密接に結びついた事象をテーマとして制作された作品も注目を集めている。
現代美術家の菅実花(1988-)は、大学院の修了作品展にラブドールの腹部に加工を施し裸体の妊婦の姿に仕立て上げて写真を撮影した「ラブドールは胎児の夢を見るか?」(2014-)を発表して話題を呼んだ。菅の作品は、人工知能と人工子宮を搭載した「妊娠するアンドロイド」の誕生を予見させ、体外受精や代理母、デザイナーベイビーなど、今日の生殖医療をめぐる状況との結びつきから、「未来の母」の在り方を問いかけている。

2010年代には、写真家たちは自主的に作品発表の方法や活躍の場を模索し、写真祭やフェアのような機会を通して、写真家同士や、ギャラリー、出版社の間で国際的なネットワークが構築されていった。2011年の東日本大震災という甚大な災害を転換点として、写真家たちは現代社会に内在する問題や歴史に対峙する方法を切り拓いており、その中でも女性の写真家、美術家たちの活躍には目を見張るものがある。2020年代を目前に控え、日本国内に限らず、世界規模での政治的な混乱や、地球規模での環境の変動など混迷を深めているが、写真というメディアによる多様な表現活動の展開を期待したい。

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