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石田小榛展をみて、アート解説にやたらはびこる「アニミズム」ポエムについて考えた。

2023年7月15日 京都新聞掲載の展評(を、やや改変)

 現代の日常の中にある様々な不可視の力を「アニミズム」という言葉を持ち出し「日本的な信仰や精神風土」にこと寄せて説明することが、ちょっとした流行りになっている。
若い女性アーティストが自作を自然崇拝や古代信仰、民話や伝承に関連づけて伝家の宝刀のように「アニミズム」を持ち出してくる傾向が、すんごく増えているような気がする。

地方のアートフェスティバルが「地域とアートをつなぐ」「自然とアートをつなぐ」「地元の人とアーティストをつなぐ」と声高に言い始めて、レジデンスと称して、たかが数ヶ月「アーティスト」を滞在させただけで「つながり」コラボレーションや「サイトスペシフィックなアート」を成立させてみせる。

過疎の村、山奥、辺境の国で人知れず消えかけている一次産業や伝承文化、生活をモチーフにして、絵や、日記や、映像や、文化人類学者ごっこみたいな「リサーチ」(サにアクセント)といった手法で、未開の神秘をエッセンスにしたおセンチなポエムを描く。そのキラーエッセンスとして「アニミズム」が濫用されてるような気がする。

「気配」をテーマにした石田小榛の作品には、現代の日常の中にある様々な不可視の力がとりだされている。

写真の上に、コンピュータグラフィックスで生成した「人の形」を合成して重ね、日常の中にある「気配」を描く石田小榛は、京都精華大学で版画を学んだ。版を重ねて多色表現をする版画と同様、複数の画像を重ねて多次元を表しているかのようだ。「人の形」は椅子にうなだれていたり、ショッピングモールの床に這う赤ん坊に見えるが、透明アクリル樹脂のように不定形で透明、目鼻もない。不気味と感じるか、無機的な空間に生命の残像を感じるか。
 「気配」を動的に捉えた映像も出品されている。雨の夜道に生々しく点滅する赤信号や、呼吸するように波打つ工事現場のブルーシート。何もないはずの場所やものに浮かび上がる「気配」は、石田の目線が見出したものなのか、あるいは「気配」の方が石田を呼んだのか。これも、どちらともとれる。

しかし、石田の「気配」への態度には、神秘や超自然に解釈を寄せることなく、むしろ突き放したトーンがある。
象徴的なのは、感熱紙のレシートにスマホの画面を転写した「消える版画」作品だ。経年や化学変化で印字が薄れるように、記録も記憶も痕跡も、いずれ見えない「気配」に帰する。そんな現象をストレートに表している。

KUNSTARZT 7月16日まで


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