見出し画像

コロナ下の鴨川納涼床で寂しかったこと

5月1日にスタートした京都の鴨川納涼床。川桟敷で夕涼みの風景が、やはり今年は寂しかった。先斗町から三条までの川床を出している店で明かりがついているのはたった数軒。唯一お客さんがいた「百練」にお邪魔して、ちょこっと記事を書かせてもらった。

従業員はマスク着用。席数を減らしての営業は、実際、とても気持ちいい。それは客席で美味しくビールを飲んだ私の感想だが、そうも書けない。店主の井上さんは、開業をたしなめるメッセージをもらったそうだ。3:7で後者の立場をとるのが記事として「適」なのかもしれないが、そう書く気にもならなかった。

先斗町に人通りはなく、床席にやってきたのは店主のお友達が大半だった。みんな、これからどうするのか。補助金の申請の状況の情報交換をしていた。バーのマスター、お好み焼きやさんの店長さん、「自粛が明けたら従業員は帰ってきてくれるだろうか」、「家賃を負けてもらいたいという交渉がうまくいかない」。接客業の方だから、口調こそ軽快ではあるものの、抱えているものがたくさんある人のこの自粛期間がどんなに不安で心細いか、気楽な身分の私には想像ができないが、床席にやってきて、知り合いの顔を見て、話をして、ずいぶん安心したんじゃないだろうか。

寂しいのは無人の先斗町じゃなくて、不要不急という言葉のほうだ。

急を要する情報交換の場所は必要だし、急いで誰かに会って話さないとやりきれない、という人もいるはずだと思ったが、そうも書けない。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?