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「京都画壇の青春」のポスターに、もう一つの「青春」を発見

この展覧会で感じた「青春」がもう一つ。大胆なマンガ調のタイポグラフィを採用した展覧会ポスターだ。
画伯達のやんちゃな作品に負けてない。

「若い人にも、京都画壇を見てもらいたい」という意図のようだが、マンガ調✖️「京都画壇」ときて、「若い人」に刺さるのか?は、疑問が残るところだが、トレンドは「消齢化」だ。実年齢に関係なく、こういう「変化起こしたい」スタンスは、万年やんちゃ層に、オヤッと届く。(自分のことだが)

さて、これに限らず、最近、美術展のポスターがわんぱくな感じに振れているように思う。コミック調あり、和もの✖️洋風イメージあり、雑誌調あり。動揺級の衝撃作もお見かけする。

近頃、美術展に発揮されてきた、雑誌編集者的なセンス



ギョッと目をひく具体的な例がこれ。
「なんで茶碗に、ダニエル・ビュレン?」英字タイトルの入り方も意表つきすぎ。フォントはわんぱく系。天目が浮きまくってます。ワビは?サビは?

中之島香雪美術館「茶の湯の茶碗」展ポスター。

それに比べて、いかにもな茶の湯の展覧会のビジュアルがこちら。
「和で伝統的で、ご高尚で結構なご趣味」の香りはあるが、その香りに陶酔するのは、茶の湯の関心層。もう展覧会に行くと決めてる人だろう。

京都国立博物館で開催された「茶の湯」展ポスター

こういうテイスト、ワタシの心の中では「和樂シンドローム」と呼んでいた。和文化を嗜んでおりますの的、高尚装い(具体的には明朝フォントと器物の切り抜き写真の多用)ビジュアルからにじんでいるのは、「この内容をわかってる自分に酔う」ためのフレーバー。その匂いは「わからない人」と「識ってる自分」とをゾーン分けするマーキングになる。

これに対して、やんちゃ、「わんぱく系」デザインには、わかってますよな内輪の匂いを払拭して、展覧会やアーティストにイチから感情移入させようとする能動的なリード、キャッチーな盛りがある。
見せるものは同じでも盛り付けが違う。
これって、キュレーションというよりか雑誌的な編集センスだと思う。

美術展企画に、雑誌編集的なセンスが光るこのごろ

まだ展示は見ていないけど、雑誌のカルチャー入門特集の体裁をいい感じでとりいれているポスターがこれ。

寧楽美術館「やきもの用語実見」展ポスター。


うつわ用語に「虫喰い」「口紅」といった言葉がある。どちらかといえば古美術業界で使われるスラングで、学術的な言葉の使用を優先する美術館では、あまり使われないのではないだろうか。

その好事家が好んで使う用語にクローズアップして「言葉からうつわを見る」という趣向だ。
学芸員が、俗っぽいうつわ用語の面白さに食いついて「観客にこの面白さを伝えたい」とノリノリな感じ、
明らかにこのベクトルは写真のキャプション、見出しやリードから導入する雑誌のスタンスに近い。

ポスターのデザインにもそれがモロ見えで、これとそっくりな解説誌面を、ワタシ自身が雑誌でなん度も作った記憶がある。
「口紅ってなに?」と書いて、口紅のイラスト入れるところなど、「ちょっとベタベタじゃない?」と編集会議で突っ込まれそうだが、やりたいことがストレートに出ています。

「円空」展。ほんわか民間仏のイメージを180度転換!

アクションコミック調で「民藝」臭さをファブリーズ。微笑みの民間仏という円空像を一新した大胆なビジュアル。担当者は漫画が好きだろうね。

ビジュアルも展示も「かわいい」づくしの「みちのくいとしい仏たち」展。

こちらも、「民藝」臭さを脱臭。東北の民間仏を、あたかもキャラグッズのように感情移入できる姿に惹きつけた。
これ、見た目だけ女子ウケを狙ったわけではない。
厳しい暮らしの中、仏様のもとへゆくことを唯一の望みとして生きた庶民を抱きしめるようなやさしさが、ビジュアルの「かわいい」感じに、あふれている。図録も丁寧な作りで、編集スタンスにハートを感じる。

どうする八幡?を、ご当地文化人、松花堂さんと考えてみたのがこの展示。松花堂は寛永時代の文化リーダーで、松花堂好みの道具は「八幡名物」と呼ばれて人気を呼んだ。松花堂の絵を切り抜くのはいいとして、ブルーとピンクの採用はかなり大胆。これみた100人のうち70人は「松花堂さんて?」とグイッときただろう。

思うに、これまで「上から一方向」だった美術展の発信が、良くも悪くも柔らかく、同時にエッジを尖らせてきている気配がある。

ブロックバスター展でもなきゃ、「見せて差し上げましょう」では、もう客は来ないからだ。キュレーションとは、購入予算もない中、「あるもので最大限に盛る」編集センスになってくる。

かつては専門職のエリートだった学芸員が、いまやジェネラリスト的な働きを求められている。デザインも宣伝も、スポンサーやメディア対応にも目をくばらないといけない。
これは雑誌編集者の仕事に似ている。
雑誌編集に失われた匂いを、いま美術展企画や広報に感じる昨今、おそらくその現場はかつての雑誌編集のように、そこそこ特権的で、そこそこ自由度があり、でも青春の勢いで前へ進むしかない不安定さがあるんじゃないだろうか。
想像ですけどね。

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