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「出してくれ」と暴れる物語を心のクローゼットから命がけで世に出してきた。ゲイの文化継承を綴る6時間の舞台『インヘリタンス』

80年代以降の現代アメリカのゲイたちとその社会を描いた群像劇「インヘリタンス」を見る。

一部、二部で上演時間は6時間半。それでも、もっとみていたいと感じるほど中身の濃い脚本であった。
軸となっているのは、3世代のゲイの作家、劇作家たちが葛藤してきた「自身のセクシャリティをどう物語るのか」。

自己防衛のためにクローゼットに隠れることを余儀なくされていた世代と、エイズ禍、ゲイリブの時代を経て、さまざまな権利も獲得。「解放された」現代のゲイ青年たち。
昔より生きやすくなったのかといえば、必ずしもそうでもない。皆、相変わらず大なり小なり個人的なトラウマを抱えているし、自分たちのよりどころだったゲイカルチャーは俗化し「盗用」され、コミュニティの絆もなくなっている。そんな負の側面も語られる。

まるで出産のように「危険を冒して書く」ことが継承されてきた

登場人物たちは、自分の心のクローゼットの中で「出してくれ」と暴れる物語を抱えている。危険を冒し、自分の身体性を通して、書くことでそれを外の(未来の)世界に出す。この苦行は、まるで「出産」ではないか。

同性愛者に生産性がないと言ってのけた議員がいたが、この世には目に見えない文化的な資産も生まれ、受け継がれている。

主人公の若い戯曲作家は、自伝的な戯曲がヒットするが、恋人から「自分の真実を書いていない」と批判されて葛藤する。虚飾は、自分の過去を顧みるのが辛かったからだが、それを「逃げている」と責められる。

厳しいなと思う。
まがい物のクリームで塗り固めた、甘いケーキのようなロマンチックラブストーリーは世界にゴマンとあり、異性愛者は嘘を喜んで、気にしない。
しかし、マイノリティの先人が命がけで書き、受け継いできた文化の「継承」に、嘘をしのばせてはいけないのだ。

世代を超えた、女の(場外)インヘリタンスもあり

観客席には女性が8割ほど。一部、二部の合間の2時間に、近所の喫茶店に時間つぶしに行くと、同じように休憩中の観客が複数いて、「あなたも?」と、年齢バラバラの知らぬ同士で話がはずんだ。

篠井英介の追っかけだというアラフィフ女性は、東京公演も深夜バスで見に行ったそうだ。篠井さんはエイズ禍の時代を生きた熟年のゲイ小説家。若者たちのメンターともなる役どころ。女形俳優として独自の道を開いてきた篠井さんにぴったりだ。

20代の女の子はエイズ禍をリアルタイムで知らないそうで、設定にリアリティが持てないという。継承せねば。頼まれてもいないのに「あの時は、、、」と「場外インヘリタンス」モードに入ってしまった。

出演者の中で唯一の女性、麻実れいが中尾ミエみたいな役やってて、それはそれで面白かった。「風と共に去りぬ」のバトラーがねえ。

6時間マラソン観劇を伴走する同志たちと分かち合う時間もまた、感慨深いものであった。

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