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☆ さみしさはシロップのように





 ー予想外のさみしさは、シロップのように染みわたる。グラデーションを見せる夕焼けのようだ。

 こんなにさみしい気持ちになるとは、とうろたえる。想いをかけていた対象を失った時、想いをかけていた量を知る。最近の対処法は、感じること。それだけの気持ちで向き合っていたことを、ねぎらい、無理もないと認める。

 教え子が卒業した後の先生、子育てが終わった後の両親など。その想いはいかばかりか、ちょっと想像できない。


 私が二十歳位の時、母は燃え尽きていた。「 子どもも小さい頃のように親を必要としてはいないからね。」とつぶやいていた。
 60才を境に復活し、初めての海外旅行へ行ったり、ちょっと躁なんじゃないかと思うほど活動し始めた。夜22時位に帰宅する事も増え、観賞活動に精を出していた。家族は驚いたけれど、よかった。


 喪失体験ではないけれど、私がいちばん寂しかったのは、高校生の時だと思う。楽しい事は、詩と、中島みゆきさんの歌やイエモン、親しい友人と話す時。他はグレーに見えていた。ひとつ言えるのは、さみしさが大きくなると危険だ、という事。安心や安全が保てない。
 あの時の私に、「 たくさんそのさみしさを感じて、早くそこから出ておいで。待ってるよ。」と言ってハグしてあげたい ☆☆☆
 
 
 
 
 
 
 

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