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○ 祈りの日

 ラジオで震災当日どんなだったか、という投書を募集していた。
 
 私は職場の休憩室でお弁当を食べ終えてのんびりしていた。強い揺れが来て、テーブルの下に皆で隠れ、涙していた女性もいた。
 主婦の方の多い職場で子どもが大丈夫か学校に連絡する、と多くの人たちが言っていた。

 19時に仕事が終わり、電車がとまっているからと父が車で迎えに来てくれていてありがたかった、ほっとした。
 そのまま接骨院に行った母を迎えに行こうと駅に行った。駅は電車がとまり長い人の列ができていて母は見つけられなかった。
 その場に外国人の男性がいて、大丈夫かな?と声をかけた。私の英語が拙すぎるのか、しっかりしたコミュニケーションがとれなかったのだが、父が『車に乗っていけばいい』と3人で渋滞の中を進み、帰宅したのは0時前だった ( 後からmikakoの友達かと思った、違ったのかと言われた )。母は徒歩で既に帰宅していた。
 色々話しているとその男性は留学生でトンガ出身、父は晩酌しながら話して遅く眠った。この状況はなんだろうと思いながら、翌朝ホストファミリーが彼を迎えに来て、私はしばらく自転車で通勤した。

 それから新聞の見出しが毎日とても大きかったこと、原発のこと、計画停電。信号が消えていて警察官が県道の交差点で信号をしていたり、譲り合いで進んだり。帰宅する時家の周囲が真っ暗だったことを覚えている。

 昨年子どもが産まれ、震災で家族を亡くされた方のTV番組を改めてみた。こんなに愛しいものが、いたいけなものが、大切な存在が亡くなってしまうという痛みはどれほどのものか想像できない。

 


 


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