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私のトリセツ|マイミューズは浜崎あゆみさん

浜崎あゆみさんが好きだ。

2023年は目標は掲げない代わりに、自分の取説を作るとこのnoteで公言したのだが、絶対に1本目は赤西さん、2本目は浜崎さんについて書くと決めていた。(ちなみにこれ以降何を書くかは全くの未定である。書くことがないかもしれないとすら思っているw)

彼女が私に与えてくれた多大なる影響についてはこのnoteにも少し書いたのだけれど、今回は浜崎さんから受けた多大なる影響について記してみたいと思う。

あゆのここがすごい①|宣材で涙を流すことをいとわない



CDのジャケット写真や、雑誌の表紙=泣いてはいけない、満面の笑顔でいなきゃいけない、そんな固定観念があったように思うが、彼女は涙を流し、こちらを真っ直ぐ見つめている写真をいくつか使っている。

衝撃だった、かっこいいと思った。人前で泣くな!みっともない!そんな呪いはぶっ飛んでいった。カリスマだろうと泣いていいし、笑いたくなかったら笑わなくていいのだ、と。

漫画から出てきたと言われないと納得できないほどクリックリの目、派手な金髪にネイル、あゆのしっぽなどなど・・身につけるものはみんなが真似をする「渋谷にはあゆのクローンしかいない」そう言われていた時代。女子中高生の毎日同じ服を着て、同じ時間に同じ学校に行き、同じ授業を受ける。だんだん毎日の通学路すらにもイラついていたそんな時代。私は彼女のスタイル全てに憧れていた。

彼女が表紙で涙を流してくれていたことは、今の私の性格に多大なる影響を与えていて、泣きたい時は泣くし、笑いたくない時は絶対に笑わないと決めるきっかけになったのだった。

あゆのここがすごい②|まるで長編小説を読み切ったような読後感、充実感を5分ほどの曲で表現する天才

▼人生編

道に迷った時 そして 道が遠すぎた時に
一人つぶやいていたよ「こんなものだ」と

who…/浜崎あゆみ

「がんばれ」って言葉ではなく共感で人の心を掴むのが本当に上手いなと何千回と聞いている今もそう思わせてくれる曲。あゆでもこんなものだと思っていたのなら私もまだまだ頑張らなきゃダメじゃんって何回も思っていたな。

今日がとても楽しいと 明日もきっと楽しくて
そんな日々が続いてく そう思っていたあの頃

SEASONS/浜崎あゆみ

学生時代から楽しい時はいつまでも続かないと感じていたのはこの曲の影響なのかな。とっくの昔に社会人になったけれども、ものすごく楽しい瞬間が訪れてもこの歌が頭をよぎってしまい、「現実・・・」と思ってしまう。楽しい時に楽しみきれない。

▼恋愛編

もしも傷を負ったその時は 僕の翼を君にあげる
そう言って少し君は泣いた こらえきれずに僕も泣いた

BLUE BIRD/浜崎あゆみ

もしも君が深い悲しみに出会ったら 僕にも分けてくれるといいな
その笑顔のためなら何だってできるだろう 僕の大切な宝物

JEWEL/浜崎あゆみ

あゆは「好きだ」「愛だ」「恋だ」歌詞の中でそういった言葉を積極的に使わず「うわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜これ、恋愛しているとあるよね〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」といった感情を歌詞にするプロだと思っている。30年の人生の中でこんな人に出会ったことがない。なんでこんな歌詞が書けるんでしょう?人生の履歴書も頭の中も全部覗いてみたい。

あゆの夏うたの代名詞とされる「BLUE BIRD」でも、冬に聞きたい人気曲「JEWEL」でも「もしも傷を負ったその時は 僕の翼を君にあげる」「大切な誰かが深い悲しみに出会ったら僕にも分けて欲しい」そう語る。それは愛とか恋とかそんなレベルを超越しており、ただただ大切なひとを慈しみ、愛するということを彼女なりの表現で伝えてくれている。もはや愛って何?好きとか愛とか気軽に言っちゃいけなくない?????みたいなことを彼女の恋愛ソングから教えてもらっている。

恋人たちはとても幸せそうに手を繋いで歩いているからね
まるで全てがそうまるで全てのことがうまくいっているように見えるよね
真実(ほんとう)のところなんて誰にもわからない

appears/浜崎あゆみ

ちなみにこの曲を10歳とかから聞いていたので恋愛観がバグってしまいw街ゆくカップルを見ても、昨今の文春砲と呼ばれる不倫報道の数々をみていても「あゆも20年前に言ってましたからねえ・・本当のところは誰にもわからないんだよ(誰)」というようなことを思ってしまうようになってしまいました。おしまいです。(褒めている)

あゆのここがすごい③|繊細で不安定な女性の気持ちを代弁してくれる唯一無二の存在

ここまでもあゆの歌詞の素晴らしさについて紹介してきたが、私の人生において、死ぬときに流すならこの曲だと思うというとっておきの曲がある。A Song for ××だ。

人を信じることっていつか裏切られ はねつけられることと同じと思っていたよ
あの頃そんな力どこにもなかった きっといろんなこと知りすぎてた
一人きりで生まれて 一人きりで生きていく
きっとそんな毎日が当たり前と思ってた

A Song for ××/浜崎あゆみ

私はこの曲の歌詞の全てに共感していて、10代の頃はこの歌詞が全て過去形で書かれていることに「この辛さは一過性のもので、未来は明るいのかもしれない」と少しばかりの期待を抱いていた。
いつから大人になる?いつまで子供でいいの?
そんな歌詞が綴られたこの曲の対象年齢はとうに過ぎたけれど、いまだに突き刺さるしなんなら10代の頃から微塵も思考はアップデートできていない。

あゆがいてくれたこと、同じ時代に生まれたことを誇りに思う。
いい言葉を書こう、綺麗な日本語を使おう、人の心をきちんと表現できるような人間になろうと思うきっかけになり、編集者を志す際の原動力にもなった。

今日あゆがお子さんとの写真をInstagramに載せていて涙が出た。
ただただずっとずっと幸せでいてほしい、私もあゆに恥じない人生を送るから。そうずっとずっと願っています。


余談

以下、もしかしたら消すかもしれません。

私は長瀬智也さんと付き合っているあゆがとってもとっても大好きで。
2人はお揃いの翼が描かれたタトゥーを入れていたのだけれど、上述したBLUE BIRDの「もしも傷を負ったその時は 僕の翼を君にあげる」という歌詞は長瀬さんに向けたものなのかな〜〜?といった話(というかただの女子中学生の妄想w)をあゆファンの友達とするのが大好きだった。

7年の交際期間を経て破局報道が出た時には、自分が歴代の元彼に振られたときをゆうにこえるほど泣いたし現実を受け止めきれず学校でもずっと泣いていた。(迷惑)

そしてのちに長瀬さんが雑誌のインタビューで破局について語ったものを読んだ時、私は泣き過ぎて過呼吸になった。

「一番好きな人じゃなく0番目に好きな人。惹かれあいすぎて届かない存在」

長瀬さんが言っているっていうのがまた泣ける

7年付き合った元彼に0番目に好きだ、惹かれあい過ぎて届かないって言われる人生とは・・と15歳ながらに思ったけれど、あれから15年経って30歳になっても「0番目に好きな人」という定義についていまだによく考える。


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