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29歳で二重国籍になった私のメンバー感

大坂なおみ選手の国籍や言葉について話題になっているので、私の経験から感じていることを書きます。

私は両親が移民一世のブラジル生まれです。父は成人後の約10年、母は日本で生まれ、1歳から私が生まれるまでの30年をブラジルで過ごしました。

私が1歳の時に家族で日本へ戻り、そこからはずっと日本での生活でした。幼少期に家では日本語、外ではポルトガル語の生活で苦労した母が日本で子供達にポルトガル語を教えることはありませんでした。

20歳になった私は、父が持ってきた書類に言われた通り署名をします。それが国籍選択宣言でした。
両親も弟たちも日本国籍だから、家族で1人だけ国籍が違うのも変というか手間だし、ブラジルに戻る予定もなければポルトガル語も話せないので、当然の流れでした。

それでもブラジルやポルトガル語に抱いていた少しの興味はだんだん大きくなり、26歳でJICAボランティアを受験、27歳〜29歳までブラジルに派遣されます。

ブラジルで過ごして気づいたこと。

自己紹介で「日本から来ました、でもサンパウロで生まれです」というと
「Então você é brasileira!(じゃああなたはブラジル人ね!)」と必ず言われます。

え、こんなに片言のポルトガル語なのに?
ブラジルのこと何も知らないのに?
ブラジルの人はウェルカムなんだなぁーと思っていました。

日本に帰ってから、外国に繋がる子どもの状況や支援体制についてオープンセミナーに行ったり研修に参加してみました。

ニュースやワイドショーでも連日取り上げられる技能実習生や外国人の雇用問題...

両親が外国籍の子供は日本で生まれても日本国籍をもらえません。

観光客にだけウェルカムな日本でいいのか?

日本に住んでいる人、日本で働いている人、日本で生まれた子たちだって「日本のメンバー」なはずでは?

私は今回、日本人駐在員の帯同として赴任しましたが、ブラジルパスポートで入国しました。結局 二重国籍だったからです。

28年間 日本人の間に生まれ日本で育った日本のメンバーだと思っていましたが、実は「ブラジルのメンバー」でもありました。

ブラジルで生まれた子は「ブラジルのメンバー」

ポルトガル語がネイティブじゃないとか、ブラジルに2、3年しか住んだことがないかどうかは関係なかったんです。

「ブラジルで生まれただけなんです」
日本人の前ではこういう言い方をしてしまいがちだけど、ブラジルにとっては「生まれただけ」なんかではありまでんでした。

ボランティアでブラジルにいる間、何人もの日本の友達に赤ちゃんができました。こうやってみんなから待ち望んで、祝福されて生まれたということは、決して「生まれただけ」なんかじゃない。

もちろんブラジルでも空港やホテルで「ポルトガル語 話せる?」と聞かれます。でもそれは日系人も多いこの国では見た目じゃわからないこともあるので確認しているだけ。

日本はまだまだ「外国の人が話す日本語」や「日本に慣れていない外から来た人」に厳しいと思います。

それぞれのルーツやアイデンティティーにリスペクトがあれば、日本語が第一言語ではない大坂なおみ選手に「日本語でお願いします」なんて失礼な振りはできないはず。

「でも 私 外国語できないし...」と思った人は ぜひ #やさしい日本語 を心がけてみてください。

✔︎ゆっくり、短い文で話す
✔︎漢字でなくひらがなにする
✔︎漢語を和語にする
(ex.避難する→にげる、購入→かう)

ちょっとしたことで変わります。もし最初からうまく伝わらなかったとしても、伝えようと努力したやさしさはきっと伝わります。

「日本のメンバーのみなさん」が、日本にいてよかったと思えるように、メンバー同士で大事にし合っていけたらいいのにね。

#二重国籍 #外国につながる子ども

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