感染者ゼロの田舎は安全なのか

都会から田舎に移住した人や旅行規制で一時的に滞在している人が「田舎はコロナ禍でも安全」みたいなことを言っているのを聞くたびに、本当の田舎を知らない初心者め…という気分になりますね。コロナ禍の最中、都会から軽率に田舎へ来た人から聞いた言葉で、え?と思ったものを紹介します。

「田舎は安全だから、マスクしなくてもいいね」

そういう考えの人がいるから、田舎の人はマスクをしているんですよ、ほら見えます?わたし達がマスクしてるの。と言いたくもなりますが、うふふ~それでも規定に沿ってマスクしてもらえると有難いですぅ~と接客業従事者の社畜は頭を下げております。田舎の人の方がマスクしてるし、一人で運転していてもマスクしている人が多くて、それは果たして意味があるのかと思うほど。充実した医療が受けられないのは目に見えているから、絶対感染したくないし、めちゃくちゃ気をつけています。

「都会は感染が拡大してぴりぴりしてるから、田舎にのんびりしに来た」

田舎は田舎で、感染者第1号になったらすべての個人情報が明かされ、根も葉もないうわさや勝手な推測を現実として吹聴されること間違いなしなので、全員がかなりのプレッシャーと戦いながら、ずっと自粛生活を送っているんです。むしろすごくぴりぴりしてますよ、知らない顔の人を見たら、じろじろと観察されますし、方言なんか出ようもんならあからさまに避けられたり、どこの親戚か突き止めようとしてくる人もいるかもしれません。そして、その田舎在住者はしばらく誰とも会ってもらえない可能性もあるのです。


わたしは田舎の他の人より感染リスクのある仕事なので、自分が感染しているかもしれないという気持ちでずっと過ごしていますし、周りの人からもそういう風に扱われることもありますが、差別とは思いません。しっかりしていて、すごく信頼出来る人だなと思います。

但し、裏でありもしない噂を、ゆがんだ顔で話している人々は論外だ!
コロナ禍でよく分かったのが、状況共有という名の、人の不幸をゆがんだ顔で話す人たちです。
真偽不明のうわさはまともに受け止めないようにしているし、検査を受けた人が批判される現状もゆがみすぎていると思っています。
自分が感染したら批判されることはやむなしと思っていますが、自分は絶対他人を批判しないと決めています。
それが例え、今あり得ないと思っている「子供を帰省させて」「旅行・宴会をして」だったとしても、自分とは違う世界で生きている人だったんだなと心の中で思うことはあっても、差別や批判は違うと思います。

今まで遭遇したことがない未知の状況でも、いかに正しい人間でいられるか。
相手の立場をおもんばかって、寄り添ってあげられる人間でいられるか。
そういう心を強く持って、いまだ感染者が報告されていない、ピリピリしている田舎で踏ん張っていこうと思います。

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