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「わたし」22歳になっている

先に、「わたし」について説明。
高校3年の夏、スピーチ大会で三重県代表になったとき。

「これは、決意表明です。いきるためにここに来ました」なんていって、ほんとうは自分の人生、理不尽だっておもっているのに、優等生みたいにきれいなことを語った。
そのスピーチのタイトルが「わたし」だった。

そんな「わたし」、みかげはもう22歳になった。
そこで、たまに振り返る原点のような「わたし」と今のみかげを照らし合わせて、いろいろ言葉を連ねていくことにしました。


このとき出たスピーチ大会は、
校長先生がしてたらわかりやすくてもっと話を聞ける気がすると思うくらいの文章のつもりで書いていた。

17歳「わたし」

ーー「わたし」以下当時のテキスト①ーー
私には、私自身を生きるために大きく4つのルールがあります。
今まで生きてきた中で自然に出来上がったルールです。
そのルールは『わたし』を構成する要素でもあり、とても大切なもの。
ずっと死にたがりだった私がこれからを生きていくためのルールで、それは理想でもあります。
今日はそのルールを再確認して、自分と向き合うため・これからの決意表明としての話をしに来ました。
まず一つ目は、人を傷つけず、周りにいる人を大切にすること。
わたしは小学校6年生の二学期から、信用していた友達に裏切られ、いじめられていました。
そして教室が怖くなって、中学生になってから不登校になりました。
今思えば、そんなわたしをいつも両親や友人が支えてくれていました。
1人じゃなかった。
なのにわたしはその人たちを信用できず、何度も突き放すことで傷つけてしまった。
いつもそばにいてくれたのに、『ありがとう』がいえなかった。
そうしてたくさんの人を傷つけてきた。

みなさんは自分の周りにいる人を大切に出来ていますか?
人を傷つけたりしていませんか?
わたしは不器用で、大切にしたいと思えるようになったものの、ちゃんと大切に出来ているのかわかりません。
でも今は周りの人に恵まれていると感じます。


二つ目は人としての目標を持つこと。
進路を決める時、『なにになりたいか』も大切かもしれないけど、『どういうひとになりたいか』が大切だと思っています。
形より本質が大事。本質の理想像が出来上がれば、何になりたいかも、どんな職業につきたいのかも、見えてくるはずです。

みなさんはどういうひとになりたいですか?
例えばあの優しいお兄さんのようになりたいとか、お世話になった先生みたいな人になりたいだとか。
いろいろあると思います。
わたしは『人の痛みを理解できる人』になりたいです。
わたしを助けてくれた人たちのように、わたしも誰かの役に立ちたい。

三つ目は、楽しさを追求し続けること。
昨年・三月の中頃、母が40度を越える熱を出した。とても苦しそうでした。
三日くらい前から熱が下がらず、わたしはとても焦りました。焦ったのには理由があって、その熱を出す少し前、母の体中にたくさんあざができていました。
『病院に行きなよ』わたしはそう言ったけど母は『こんなことくらいで…』と病院には行きませんでした。あざと同じ時期、鼻血をよく出していました。
なんだか、小さい頃に見たドラマみたいで、ゾッとした。
そのドラマは『白血病』が題材で、主人公の女の子はラストに死んでしまったから。
もしかして…と、わたしは焦った。
母の熱は下がらず、どんどん苦しさが増す様子で、わたしは怖くなって、母の姉である叔母(おば)を家に呼んだ。その日、私は部活があったからおばに母を任せて、学校に向かいました。
でも、それは間違いだった。
部活が終わって父に電話をしました。
『お母さんが入院した、長くなると思う』『血液内科に入院した』電話の向こうで、父はそう言った。
背筋が凍った。まさか、本当に病気なのか。本当に、白血病になってしまったのか。嫌だ、いやだ、いやだ、あのドラマでは主人公は死んだ、それを思い出してまた怖くなる。
この日どうやって帰ったのか、その夜どう過ごしたのかはあまり覚えていないです。それほど、衝撃が大きかった。
その次の日くらい、父とおばと3人で、わたしははじめて母のお見舞に行きました。
大きな病院の建物の前で、『病室には2人しか入ることができない』父はそう言いました。
そうか、病院の仕組みってよくわからない。そう思って着いたのは、『無菌室』と書かれたドアの前。頭の中で納得した。
同時に怖くなった。
ドアのガラス越しに見えるのは真っ暗な廊下。
なんだか不気味でした。

病室に入ると、よくわからない機械と、ビニールでできた分厚いカーテンに囲まれた母がいました。げっそりしてた。
そんな母の顔を見て、また怖くなりました。
そしてなんだか寂しい気持ちになった。

その日の夜、父に聞きました。

『お母さんは何の病気なのか』と。
このとき、わたしはまだ何も聞かされていなかったから。
予想はついていた。でも、心の中で否定、絶対違うし。絶対すぐ帰ってくるし、って思ってた。
父は戸惑うことなく、わたしに 『白血病だった』と告げた。

母と父、主治医の先生と『みきにもちゃんと伝えよう』と決めたらしい。
『すぐなおるよね、』そう聞くと、断言はできないと言われました。
わかっていた。わかってたのに、やっぱり泣いてしまった。

しばらくお見舞いに通いました。

ある日、お見舞いの帰りに、
ギターの弦を買ってあげるから、と言われた。
わたしは趣味でギターをしていたから、誕生日プレゼントに、と母が提案したらしい。
『みきに何もしてあげられないから』と。

今までもらったものの中で、一番嬉しかった。
母の気持ちがひしひしと伝わってきたから。

それもあって、つらいことがあればギターを弾いて歌いました。

ギターと歌に打ち込んでいる時はすこしだけ、気分が楽になりました。
どんな時でも、楽しいことをしたら少しは救われる、わたしはそう信じています。

みなさんは、なにかつらいことがあったとき、思いっきり打ち込める趣味はありますか。

四つ目は、何があっても自分を傷つけないこと。
これは家族との約束でもあります。

その約束のきっかけが、母の入院でした。
ことある事に自傷行為を繰り替えていたから、わたしの体にはいくつもの傷跡があります。
そんな傷跡を見る度に、その時辛かったことを思い出すから、それが苦しくて

今はどんなに辛いことがあっても、さっき言った『楽しさを追求し続けること』
で乗り切っています。

以上、四つのルールを話しましたが、
他にもたくさん自分の中で守りたいルールがあります。
その中でも、この四つがとても重要で、特に守りたいものです。
自分を見つめなおし、向き合う日々の中でどんどん新しいルールができていく。
そのなかで、わたしは将来、人の役に立ちたいと思っています。
まだ具体的に、何になりたいかは決まっていないけれど、人の痛みを理解できる人になりたい。わたしは、わたしとして自分らしく。それだけは、固く決めています。

ありがとうございました

――――――――――

わたし v22

このときのわたしはしっかりしすぎていないか、と思ったりした。
今はもう心が折れてしまって、このときほど威勢良く夢を語ったりとかできないなあって。
ルールも、考え方も変わらない。ただただ年齢と、瞳の曇りみたいなものを重ねただけだなあと。

若くいたい、なんていうとまだあんた若いでしょ、なんていわれると思う。だけど、もっと、こう、輝くことはできるんじゃないかなって思うのです。

白血病の母は亡くなりました。母は51歳。わたしは20歳のときでした。
そのあとわたしは耳の病気を悪くしてしまいました。
二人暮らしになった父とけんかばかりを繰り返しました。
そんな生活が恐ろしくて家を飛び出して大阪に引っ越しました。
大阪の会社でオンラインバーのママという役職につかせてもらったり、ライブ配信アプリのタレントさんのマネジメントのようなことをさせてもらいました。
2020年秋から、毎晩路上ライブ、コロナで自粛気味になってツイッター運用を頑張っています。そしてほぼ毎日朝昼夜3回の配信ライブを始めました。地道につづけています。

あれ?輝くことはできるとか、そういうのはもういいんじゃないか。
自覚がないだけでわたしは多分ぜんりょくでうごいている。
この行動に、自信が無いだけで。「がんばってない」ことなんて全然ない。

「輝きは作るんじゃなくてにじみ出るもの」だとしたら
もっと自信を持って生きるべきだと思う。
自信がある人はきらきらして見えるでしょう?わたしは自分を認めたい。大きな言葉なんかで飾らず、そのままの自分を受け入れて愛したい。そんなふうになりたいから、これは決意表明。

今度こそ「わたし」を生きる。


三重県で、シンガーソングライターをしています。代表曲は「ひかりとつき」など。サポートや投げ銭でいただいたお金は制作機材やサイトなどの維持費充てています。応援よろしくどーぞ!!!