見出し画像

Enecheata(イントナツィオ定型)による教会旋法の講座

フィードバックをせねばと思いながらあっという間に10日が経ってしまいました。先月6月22日での「中世音楽講座inさや堂」無事に終了いたしました。北は宮城、西は静岡、もちろん関東地方の皆さんもたくさんご参加くださいました。ありがとうございました。

今回は 「エネケマタ Enechemata(イントナツィオ定型)」を重点的に採り上げて教会旋法を皆で歌いました。
さや堂の大きな響きの中でエネケマタを一つずつじっくりと口伝伝承(耳コピ)の形で伝え、何度も何度も歌いました。深い響きに包まれてあっという間の10:30~17:00でしたが、さや堂内を歩き回ったので足は疲れましたが、心と声は舞い上がっていくような素晴らしい時間でした。さや堂でやったことも大きな意味がありました。フィナーリスを変えていく事で、旋法の響きがガラリと変わっていくのが衝撃的でしたね。

私のこれまでの教会旋法講座はモデル・アンティフォンに基づいたアプローチを主にしており、日頃からいろいろ思うところがあったのですが、古ローマ聖歌およびカロリング朝の単旋律聖歌の権威でおられ、ジュネーブ高等音楽院で教えておられるルッカ・リコーザ先生が数年前日本にバカンスに来られた際にお食事に誘っていただき、中世の頃の聖歌歌唱の在り方のお話を伺い、それまであった心の中のもやもやが晴れていったのを覚えています。
その際にも聖歌におけるチューニングの仕方からこのエネケマタの話になったのですが、グィドがミクロログスにおいてモデルアンティフォンやソルミゼーションを推奨していったために人類が失っていったものがある。そのためにもエネケマタを忘れてはいけないというお話はとても衝撃的でした。その頃の私はエネケマタについてはそういうものがあるというぐらいで、歌ったことはありましたが、あまり大きな興味を持っていたなかったのです。
その後数年にわたり、中世音楽を教えさせていただいたり、自分が歌う機会を通して、中世聖歌における音の在り方について考え直さねばと思うようになりました。2020年の夏に4日間の中世音楽講座日帰り合宿を試みまして、その時にすこしエネケマタをみんなで歌ったのを皮切りに、その後の講座では少しずつエネケマタに積極的に触れるようにしましたが、やはり自分の中でモデルアンティフォンの存在が強く、なんだかよくわかんないな~なんて思いながら時間が過ぎていったのですが、その中でモデルアンティフォンやソルミゼーションに対しての姿勢が変わりました。正直に言いますと否定的になってきています。
もちろんこれらの事は音楽史上、または中世音楽理論上大変重要な事ですので間違っているとは言いませんし、全面否定はしませんし、今後もこれらの手段を使って皆さんに中世音楽を語ることは積極的にするつもりです。
しかしながら、エネケマタは人が聖歌を歌い始めた最初の頃の音の感じ方、声、息の持って行き方を非常にオーガニックな状態で私たちを旋法に導いてくれます。このオーガニックな声の出し方が結局は大切なんです。つまり声の在り方を根本に置いたメトードなんだと思います。

多くの方がすでにご存じとは思いますがネウマ Neumaの語源Pneumaの意味は「音」の他に「息」という意味があります。ネウマを単なる記譜法と片付けず、歌手の息の持って行き方のサインだと思ってください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?