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人類はずっと馬車に乗っていられなかったんだよ

ポケモンGOである。このゲームが原因で事故が起きたり、立ち入り禁止区域にひとが入ったり、由々しき事態も起きているようです。でもね、そういう事故はもうこのゲームがどうというのではなく別次元でNGの話なんだ。こういうことをやらかすひとは、ポケモンGOがあってもなくても何かしらのトラブルを起こすの。

わたしはポケモン世代ではないし、正直ポケモンそれ自体には興味がない。でもここ数日、何だかこの話題の周辺でモヤモヤしていた。そして気づいた。こういうときに訳知り顔で「こんなことに費やす熱意があるなら他に使えばいいのに」とか「みんなでスマホの画面みつめて...」とかいうひとがね...大っ嫌いなんだよー!!

昭和30年代、初めてTVが家にやってきて、みんなで集まって1つの画面をみた。それはよくってこれはダメなの?ただ自分が見慣れない光景、見慣れない世界が始まったというだけ。それに眉をしかめるのって、年齢に関係なく「年をとった」証拠だよなと思う(ちなみにこういうひとはもっと前に生まれてたら、きっと「車の誕生」とかにいちゃもんつけてたんだろうなと思ってる)。

新しい技術が誕生するということは、プラスの側面もマイナスの側面も必ずある。そしていつだってそのマイナス面を凌駕するプラスの恩恵があるからこそ、生活のなかに浸透していく。それはもうどうしようもない「流れ」で、1度くさびが打たれてしまえば「なかった頃」には戻れない。パソコンの可能性、インターネットの利便性、iPhoneがみせてくれた新しい世界。少なくともこの10年くらい社会で生きてるひとなら、実感として分かるのではないだろうか。ポケモンGOは、「ただのゲーム」という顔をした「バーチャルリアリティ」という未来の技術の入り口なんだよ。それがわたしたちの手が届くところまできているという事実に、ワクワクしないの?いや、ワクワクしなくてもいいよ。「おー、もうこんなことができるのか、すごいな」とか思わない?

昔、インターネットでのお取り寄せが流行り出したとき、TVのコメンテーターがこんなことを言っていたことが、いまだに何だかな〜という印象として残っている。「わたしはこういうのってちょっと違うと思う。買い物って、その場に言ってお店のひととやりとりして、そういうのが大事じゃない!」。

確かにそういう買い物も楽しい。そして絶対になくなることはないだろう。なぜなら新しい技術の誕生は、必ず逆方向、つまりアナログの方向で一定のこだわり層を生むから。生産者から直接購入できるマルシェとか、増えたでしょう。

でもね。

外出がままならないひと―高齢者や体の自由が効かないひと、妊婦さん、忙しいひとたち―がいま手軽にインターネットで買い物できるようになったってすごいことだよ。そしてそれは、インターネットという新しい技術の誕生とその後の成長―お取り寄せブームとかを経てのネット購入の定着―がなかったら、できなかったことなんだ。

新しい技術が誕生したなら、それをなるべくよい方向へと導く努力をすればいい。プラスの恩恵を最大化できるように、誰かが笑顔になるように。最初はヨチヨチ歩きで、穴だらけの技術だったとしてもいいじゃない。それを成長させていくのが人類の知恵だったり、良心だったり、何よりわたしたちの可能性だと思っている。

(あ、あと「巨大な組織にいいように操られて..」とか「洗脳が..」とかいうのは、そういうの別にいま始まったことじゃないじゃん、とも思っています。TVとかネットとか出てきた時点で洗脳もされてるし監視されてるし操られてる)






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