マイストーリー①

書くかどうか悩みましたが、
自己開示は必要と思ったので、

過去あったことから、
なぜ起業する道を選んだのか

私のマイストーリーを
書いていきたいと思います。

私は32歳の時に、結婚しました。


夫は普通のサラリーマンで、
贅沢はできなくても
楽しい結婚生活を送っていました。


そして、いつか子供ができたらいいな
と思っていました。


結婚2年目を迎えたとき
穏やかな生活が一変し

激動の日々に変わりました。

 

ある日夫は微熱があり、
体調が悪かったので
仕事帰りに近くの病院を受診。

 

診察してもらって、採決や
他の検査もしてもらいました。


結果が出て先生から


「血液検査の数値が異常です。
これ以上はこちらでは詳しくわからない。
大きな病院を紹介するから
すぐ再検査しに行ってください」と言われました。


レントゲン画像など
諸々のデーターを渡され
自宅に戻り、

翌日、総合病院に行きました。



ですが、様々な検査を受けたが
原因がわからず
日にちだけが経過して行きました。

 
そんなある日

 
別の日に更に精密検査を受けていた
結果がでたから説明すると
医者から電話がありました。


二人で病院にいくと
面談室に案内されました。


そこで、医師から言われた
夫の病名は、

 

悪性リンパ腫でした。

血液のリンパ球が癌化するものです。

 

初期ではなく、身体の部位のリンパ節に
広がっているとわかりました。
 

ショックで血の気が引き、
頭がぐるぐるしたが、

夫のほうがショックだから
泣くわけにいかないと、


冷静に医者の話を受け入れていました。

隣で夫も泣くことも、わめくこともなく
沈黙だけが続いた記憶があります。


そしてそこから入院し
闘病する日々が始まりました。


その当時、合う抗がん剤が
どれなのかわからず
色々な種類の薬を試すことになりました。


腫瘍マーカーが
上がったり下がったりするを繰り返し、


今のところ、
この治療しかないといわれ


先が見えず
この先治るのかどうかのもわからず
当然、退院のめども立たず

入院費も、治療費も
どんどんかさんでいきました。


貯金していたお金もどんどん底をつき
1人不安で、


社会福祉士さんにいざとなったら
治療費の貸付はできないか
相談にいく状態にまでなっていました。


夫の会社も
夫が復帰できるようになったときの為、
休職だけで免れたものの、


その時は、私がパートで働いている
時給800円のお給料だけでは生活はできないと思っていたし、

 
毎月何十万と請求される入院費用に
不安な日々を送っていました。



心配した私の親からは、
いつでも、足りなければ出すからと
言ってくれていましたが、


 「なんとかなってるから大丈夫!」
と伝えてました。


そんな時、求人誌でエステティックサロンの
正社員募集を見つけました。


面接に行き、過去の職歴経験が活かせるということで、すぐに採用が決まり


エステティシャンの仕事に
就くことができました。

 



そこから仕事と病院に通う日々は
かなり忙しい毎日でしたが、


自分で自立した経済力がついたことで
生活費と入院、治療費の面で


経済的に
生活の不安はなくなりました。

そこから
夫に合う抗がん剤が見つかり


癌が寛解し、6か月の半年に渡る
長い入院生活を終え


退院できることになりました。

 


長くなるのでつづく。

 

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