音楽家て何?

音楽とは?クラシックをやっていると、それはハーモニーだったりメロディだったり拍だったり、それをどう感じるのが一番自然で美しく伝わるのか等々、(言葉では表すのが難しいけれど)、動きの感じ方を自分の物にして、(演奏家の場合はそれを)再現する。学べば学ぶほど、細かい物が見えてきて、深く深くどこまでも掘り下げる事ができる。演奏を学ぶ事は、人生を学ぶ事と同じだと自分は思っている。
私はクラシック嫌いであった。しかし先生に一つの事を極めてから広げなさいと言われて、そのままがんばったおさと
昨日マタイ受難曲を聴きで感銘をうけ、今日rewire festival というハーグで一年に一度行われるフェスで、Tim hecker とVincent de belleval のステージを見て、エレクトロニクス音楽で初めて涙が出るほど感動した。
その音楽とは、生楽器の音から大音量のエレクトロニクスのパニングまで、頭の中をパーにする様な、そして体で感じる音、それもまた下半身で感じる遅い振動の低いCが引っかける様な五度上の速い振動のG、そしてクラシックではよく言われるNeopoletan (2nd flattend tone) のDflat からスライドする様に振動幅の広くなるC、耳の奥で感じるトーンや、頭蓋骨に響くトーンなど、体をスムーズにスライドする様な、王道的なクラシックレパートリーには絶対に存在しない域の音楽体験をした。そしてそのステージは音だけでなく、暗闇から一本の線、青から赤へのtransformation でまとまっていた。
この音楽を聞いた時、クラシック音楽としてアナリーゼをすることができるであろう、と思った。しかし。多分このアーティストは一切クラシックなんて学んでいない。

昨日たまたまフェスに来てたアーティストと話した。それはまあ面白いステージを行なった日本人アーティスト、チェロをこんな音も出すのかと思うような音で弾く方と、それをベースでささえるシンテの方。彼らは繰り返し、独学で知識とかない素人と、言った。
でも、なるほどと思った。独学で自分の音を探すからここまで面白い音が出るのか、と。

現代曲で面白いものをする人が、クラシックから来ないわけ。そして、なぜクラシックとこういう音楽は二つ離れた世界でそれぞれ孤立しているのか。

今日のステージのアーティストの聞いていたそして私達の体感した不協和音は、バッハの属七を聞いた時のあれと、違わないではないか。今日のステージのアイデアの発展は昨日のマタイ受難曲の全体の発展とそこまで違うのか。

なのになぜ、日本でも、偏見がないと言われているヨーロッパでも、観客、音楽家の世界がキッパリと分かれるのか。

一年生の時モーツァルトの話を歴史でやった。その時、音楽は貴族が聞き流すために、「なるべくフォルテのない、淡々とした、not disturbing music」と、逆にニッチな音楽愛好家が聞く、難しい曲に分かれていた。モーツァルトは、父への手紙に、「どっちの人でも楽しめる音楽を作った!」と書いており、歴史の先生は、モーツァルトの有名な理由は誰でも楽しめる、中間の出会いの場を作ったからだと言っていた。

もしかしたら、同じことがまた繰り返されてるのかも知れない。二つの道、近い様で誰も触れないこの二つの音楽世界の別れめを、いつかくっつける様な、そんな行動の一歩の為に、自分は書く。


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