見出し画像

The end of their life. 009高橋掬太郎

The end of their life.  009

高橋掬太郎(たかはし きくたろう)
(1901年4月25日-1970年4月9日)
昭和の作詞家。
 
北海道根室市生まれ。
漁師の家に生まれる。高校卒業後に根室新聞社に入社。その頃から作詞をはじめる。函館日日新聞に入社後は、学芸部長として活躍しつつ、文芸同人誌で詩や小説、脚本などを書く。
 
1930年に結婚。そして、民謡雑誌に「酒は涙か溜息か」を発表。当時新進作曲家だった古賀政男を指名してコロンビアレコードに詞を送ったもので、翌年『酒は涙か溜息か』で作詞家デビュー。藤山一郎が歌い80万枚の大ヒットとなり、同名の映画も制作された。
 
1933年に上京。数々の楽曲を手がけ、2年後には名前を「菊太郎」から「掬太郎」に改名。戦時中は陸軍省嘱託として従軍し、軍歌、歌謡曲、童謡、三味線小唄などを作詩し、北京で発表会を開く。
 
また、後進指導のために設立した、 ほう々詩舎(ほうほうししゃ)で約2000人の入門者に指導し、宮川哲夫、石本美由紀などのちに歌謡界で活躍する多数の作詞家を輩出した。
 
他に主な作品として『ここに幸あり』『啼くな小鳩よ』『並木の雨』『古城』などがある。
紫綬褒章、勲四等旭日小綬章受章。
 
1970年3月9日、慈恵医大に入院。4月9日死去。享年69歳。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?