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思惟#5/挨拶というものが持つ力

先日知らない人から挨拶されることが立続けに2回あった!
私はこうゆうのがものすごく嬉しくなる。赤の他人から一歩近づいた感覚。そして自分のことを覚えてくれてるという感動。

朝の散歩をしていると、知らないおじさんが通りすがりに「おはようございます」と言ってくれたので慌てて返答した。
思い起こせば数日前にご夫婦らしき男女の人達と狭い小道ですれ違った時になんとなく私から挨拶したのだが、その旦那さんらしき人だった。

もう一人は建設中の駐車場入口で交通整理しているおじさん。
「おはようございます。暑いですね。」ニコニコ誰にでも話しかける人のようだが、如何せんそんなに人通りが多くない。私も「暑いですね。頑張ってくださいー」とだけ言ってすれ違った。

これまでの人生を振り返ると挨拶を意識するようになったのは小学校低学年から。学校帰りに近所のおばちゃんと挨拶するようになり、挨拶仲間が5-6人できていた。最初は挨拶だけだったが、徐々に一言増えてきて話せる間柄になったように記憶している。時々はお菓子やらケーキやらもらえたので子供としては嬉しい限りだ。

挨拶するようになったらお菓子をもらえるようになったのだ。私の中でこのことは成功体験としてとてつもなく深く刻まれている。

また、中学生あたりから自分は特徴のない顔、当たり障りない態度のせいか、初対面で人の記憶に留まることが少ないんだということを自覚して以来、覚えてもらえてるということに感動したりする。

だから、ふいに挨拶される、ということが私の中で最高にうれしいこととなっている。山登りや海外に行ってやたらと挨拶したがるのはそのせいなのか、今更気づいた。

もはやこの感覚は染みついて離れない。なのでマンションのエレベーターで一緒になる小学生が挨拶を返してくれないと悲しい。「知らない人とは挨拶してはいけない」ことは分かっているものの、ただただ悲しくなる。

挨拶のような気楽な関係でつながりの第一歩を持ちたいと思うのは私だけなんだろうか。

最近ボランティアで定期的に開催しているオンライン打合せは時間になるとメンバーが無言で入ってきて、終わったら無言で退出していく。私は時々挨拶するが誰も挨拶しないのでその雰囲気にのまれそうになる。全てがそのせいとは言わないがチームワーク力は、、、。

リアルだろうがオンラインだろうが、挨拶した後の雰囲気は絶対に柔らかくなるはずなんだけどなー
空気を読むとは違う空気。
柔らかい背景みたいなものなんだけどなー
これって目に見えないものだから認識されにくいのかな。

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