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私の考え方②…出生前診断について


出生前診断でダウン症と診断された場合に中絶すべきか?

という事とそれに関連する問題について私の考えを書いていきます。

※注意事項
・デリケートな話なので苦手な方は読まない事を推奨します。

・伝えたい意図がうまく言葉にできてない点がありますので、言葉の一部を切り取ることや、情報操作はご遠慮ください。

・あくまで現状の私個人の意見と感じ方についてのnoteですので、これから新たな意見や事実によって考えが変わる可能性があります。

・私個人の感情や感じ方などがメインとななるので、法的な拘束力はありません。

・言及できていない点や至らない部分があるかもしれません。ご了承ください。

・自分自身や自分に関連する場合にこうしたい、助言したいという気持ちが主となっております。

・私の実体験や知っている情報のみでの意見を書いています。

・今生きている障害者の方の存在や、生まれた乳児が予期せぬ障害を持っていた親御さん方の決断を否定する意思は全くありません。

・障害を持つ方本人や、大切に思っている人の中に障害を持っている方がいらっしゃる方は、心をいためる可能性がある内容が含まれています。

・読むのも読まないのも自由です。
ご無理なさらないでください。




ここからは本編です。
ご了承いただけた方のみお読みください。



結論から言いますと、
私個人の考えでは事前に検査をし障害があることが発覚した場合は中絶をした方が良いと考えています。

私がそのように考える理由

兄弟児や学校などでのお世話係

まず私が問題を感じるのが兄弟児やお世話係の存在です。

障害を抱える方の身近な人間は介護やお世話などを任されたり、負担するケースがが多いです。
その中で介護の責任が必ずしもあるわけではない
兄弟、姉妹や学校の同級生、生徒
自らの意思や責任感、または親や教師からの指示や圧力でお世話をするという部分に問題を感じます。

兄や姉が、年上だからお世話しなさいと指示されて介護する場合や
弟や妹が、「兄姉の事を支えなくては!」
という気持ちなどで、日頃の我慢や介護を強いられたり、自分の時間や体力、精神を消耗する場合があります。

また、学校でのお世話係も同様に
気の弱い子やしっかりしている子、責任感の強い子に
先生や保護者などが
「面倒を見てあげなさい」
「ペアになって指示してあげて」など

他の子供が負担していないことや、親や教師の役割である仕事を子供に任せるという場合が見られます。

兄弟児やお世話係などは
本来自分の好きなことに支えたはずの時間や体力、神経を制限されてしまいます。

自分のことを蔑ろにされ
誘導や補助、機嫌取りやいろいろな物事を譲ることなど様々な方面から虐げられてしまいます。

勿論障害がある方の理解を深めたり、補助や手助けの方法を共有することは必要であり大切なことです。
しかし、それは平等に全ての人が学び経験するのが望ましく、一部の生徒や、兄弟児に偏って強いられる事であるべきではないと思っています。

勿論自らの意思で介護や補助などをしようとする方もいらっしゃいますし、そのような方々の行動や意思は素晴らしく見本とされるべきものだと思います。

実際
私が小学生の時に私自身の選択・意思で
学年が下の支援学級に所属している男の子の
お世話係をしていました。
きっかけは些細で、全校集会で泣いていたその子が気になり放って置けなくて声をかけたのが最初でした。
その子の障害や病気については記憶しておりませんが
主にご機嫌を取ったり、行動の誘導や付き添いなどをしていました。
最初は私の事を警戒していましたが、長く関わっていくうちに
指示を受け入れてくれたり、泣いていても私が行けば落ち着いてくれるようになりました。

私の卒業時にはお手紙と折り紙のお花を贈ってくださって、今でも思い出すと嬉しくなります。

話が逸れましたが
私は自分の意思でお世話係を選び、それを貴重でありがたい体験だと思っています。
しかし
したくない事を押し付けられて嫌な体験・トラウマになっている場合も沢山存在します。

平等と公平の違いを踏まえた上でになりますが、公平のためには助け合いや設備の充実が必要不可欠になります。
そうなれば介護をする人間の存在は必需ですし、それを常識の範囲以内で必要とする方に罪は全くないと思っています。

しかし、今回の論題は生まれてくる障害のある子供や、後天的、生まれるまで判明しなかった場合の、障害がある方についてではなく
出産前に障害が発覚した場合生むか産まないかの選択についてです。

この場合、産まない決断も選択可能だったのに対し
生むと決断し子を育てる事を選択した時点で
その子供の障害についての責任は親側にあると思います。

健常者の兄弟が既にいる場合や、その後にまた子を育てる場合、高い確率で兄弟児に負担をかけることが決まってしまいます。

【親が面倒を見るから大丈夫】

と思うかもしれませんが
育児の配分が障害がある子供に偏るのは目に見えていますし
まだ自立していない子供は環境にとても左右されやすく、障害がある子供の行動やそれに関する環境の変化が多くのストレスを与える可能性が高いです。

親にも、障害のある方にも、兄弟児やお世話係にもそれぞれの人生と人権があります。

明らかなハンデである障害を持ち、生まれてこないという選択肢がないまま生まれてくる子供も
選べない環境や性格につけ込まれて様々なリソースを搾取される周りの人達も
人権と人生を、産むという個人の選択肢によって侵害されてはならないと思っています。

だからこそ、中絶という選択肢によって
障害のある方本人や兄弟児・お世話係の
人権や人生の侵害を防ぐべきだと考えています。

親のメンタル・人権・人生

先程兄弟児やお世話係などについて言及しましたが、
親の人生や人権も大切であり侵害されてはならないと考えています。

私の知る限りだと
出産前に胎児に障害があることが判明しても、産むという選択をする人の理由は

① 中絶が怖い。または罪悪感があるから

②不妊治療などでやっと授かった子供だから

③たとえ障害があったとしても、愛せる自信があるから

という理由が見受けられます。

②と③に関しては産みたい、育てたいという気持ちの強さから

①に関しては中絶に対する罪悪感や恐怖、母体や金銭面への負担の大きさなどの抵抗感からだと考えています。

まず①についてですが
中絶は母体にも負担が大きいですし、内容的にも罪悪感や恐怖を感じるのは当たり前のことで、命に対する責任感があるからこその気持ちだと思います。
命の重さを尊重できる優しい方だと思います。

しかし、生命を産み育てるということはその命の責任を長い間背負うことが必要とされます。

子供の障害のあるなしに関わらず、子供を育てることは親の義務です。

子供を育てる費用や親への負担は中絶に比べ長期的で莫大な物になります。
中絶をせず、産むという選択をしたということは自らその責任と義務を背負うという選択をしたのと同義だと思います。

その事を考えた場合、障害というハンデを抱えた子供を育てることは、親の人生も同時に消費されます。

もし、中絶をしようとしているのに他人や外部から
具体的で納得できる理由もなく堕すなという圧力をかけられているのであれば、
その人たちは無責任ですしその意見を受け入れる義務などありません。
何よりも自分の意思と人生を大切にしてください。

多くの親は子が自立した時点である程度育児からは解放されますが
障害を抱えた子供は自立が難しく一生介護や補助を必要とする可能性が高いです。

他の選択肢があったのにも関わらず、産んだという責任によって
親が子供の介護を一生続けるという義務が生じます。

障害がある方の介護や補助を外部の施設や身内と分配して負担するのは助け合いだと思いますが
それは障害がある方本人や、子供が後天的・または障害が発覚しなかった場合に出産した方の予期せぬハンデに対する手助け、救済だと思っています。

ですが
もし障害というハンデを抱えている子供を育てると自分の意思で決定した場合
自分や家族、施設やボランティアなどを利用するという色々な負担と可能性がその時点で分かりきっていますし、
その発生する可能性が高い色々な負担や侵害を
親のの判断で許容してることになります。

これから起こりうる人権や人生の侵害
枠や人材が限られている施設やボランティアを必要以上に圧迫することを容認する姿勢は良いものとは思いません。

こらからの人生と中絶の負担を比較すれば私は中絶を選ぶべきだと考えています。

②と③に関しては子供を愛する気持ちや様々な努力を実らせたいという親御さんの気持ちはとても理解できます。
実の子でなくちゃいけない、障害があっても関係ない、愛せる。
その様な感情は親になる人の気持ちとして多いものだと思います。

しかし、結局は親の感情を何よりも優先した利己的な行動だと思います。

全ての負担を抱える覚悟や
本気で愛する気持ち
があったとしても
学校生活や日常生活で全く他人の力を借りないことはできないですし
親も人間ですし感情があります。
苦悩や介護の負担は軽いものではないです。

勿論どんな人間でも誰かに迷惑をかけますし、頼ることは大切です。
しかし、あらかじめ防ぐことができたはずの迷惑や、過度な他人への要求はするべきではないと感じます。

子供が障害を抱えて生きていくこと
兄弟や家族、周りの人にに負担や我慢を強いること
施設やボランティア団体の圧迫
など…


自分以外の苦悩を考慮しない、または考慮した上でも産むというのは考えが浅く無責任ですし
その利己的な考えのまま親になれば
なおさら
産むという選択をした親が実現可能としている
全ての負担を自分が背負うことや
障害があっても愛する
という発言や意思は実現できないと思います。

子供が幸せに暮らせる環境や金銭、親の責任感が無ければ、どんな人であっても親になるという選択はすべきではないと私個人の倫理観と道徳の観点から思います。

親も一人の人間です。
何もかも完璧な人はいないと思っています。
だからこそ、自分の性格や準備できる環境を冷静に分析して子供を産むべきか、産まないべきか今一度お考えください。

しっかりと考えた上での妊娠と中絶は悪いことではありません。
産まない選択肢をするという愛情もあると思います。
自分の人生も大切になさってください。

子供のメンタル・人権・人生

先程障害を抱えて生きていく本人以外について言及しましたが
ここでは子が抱えて生きてく障害というハンデについて考えていきます。

まず大前提に私の中で障害者とはどの様な人かをご説明します。

私の認識では
身体や脳の障害について
では無く
人生を生きていく上で向き合わなければいけない障害(苦悩や障壁)がある方
だと思っております。

この場合
生まれてきた時点で、人生において沢山の苦痛や悩み、不便さを背負う可能性があります。

この話題になると

障害があっても幸せな方はいる
障害者が不幸だと決めつけるな

という意見が出てきます。

この意見自体はその通りだと思いますが
その方々はご自身の努力や頑張りで困難を乗り越えて自分らしく生きることや
物事に対する向き合い方を手に入れたからこそ幸せになられてるのだと思います。

様々な障害による困難を乗り越えて幸せを掴むことと、
障害がハンデであることは共存します。

もし
障害による困難を乗り越えることができなければ、それは辛いままですし
健康な身体で生まれてこれるのであればそちらを選ぶ人がほとんどだと思います。

子供が必ずしも困難を乗り越えられるとも限りませんし、そもそも生まれた時点で他人より様々な負担を抱えるのはあまりにも酷です。

その様なハンデを背負わせるのは子供の人生を軽視してると感じます。

子供本人が知能的な障害で苦悩を認識することがなかったとしても
最初に触れた兄弟児などの問題点がありますし、知能が高くなれば自分が置かれた境遇の理不尽さに苦しむ可能性が高いです。

もし、手助けしてくれる人の存在が消えてしまったら色々な負担を自分で対処しなければなりません。

なぜ産んだのか
生まれてこなきゃ良かった


障害によるハンデでそう思わせてしまっても、生まれてきたら死ぬことは難しいですし
親が肩代わりすることもできません。

幸せな人もいるし、不幸だと決めつけるのは良くない
それだけの理由で子供のハンデを許容し中絶せずに産むのはポジティブ思考では無く、浅慮なだけです。

中絶をすればその様な苦しみを防げたかもしれないのに、産むという選択肢によって苦しさを一番背負うのは子供本人です。

親のエゴで子供という一人の人間の人生に
障害というハンデを背負わせるのは
無責任で背徳だと私は感じます。

育児環境

家庭環境は子供が成長する上でとても重要です。
子供の成長や人生を妨げる可能性がある環境では
どんな人であっても親になることを私は推奨できません。

子供を育てるに適した環境と、そうでない環境の境界線をつける事は難しいですし、
子供を育てるべきでない環境はこういう場合だ。
と断言することも難しいです。

ですが、いくつかの判断基準があります

  1. 金銭面

  2. 家族仲

  3. 家の設備 衛生面

  4. 住んでる場所の治安

  5. 親や親族の性格やメンタル

  6. 親や親族の宗教や思想

他にも判断基準はあると思いますが
私の中では主にこの6つが思いつきました。

子供の進学や普段の生活に支障が出ない程度の裕福さ。

または

病気や治療などを満足に受けさせられることができる程度の資金を持っているか

家の衛生管理や人間的な生活ができる程度の設備が備わっているか

治安が良く、事故や事件の心配がないか

他には

子供の意思を尊重できる、周りの大人の対応

思想や宗教の押し付けがないか

親のメンタルが極端に不安定で、子供に負担をかけないか

など様々な理由があります

障害のある子供を産み育てる場合は
莫大な資金やたくさんの手助け
親や親族の強いメンタルや助け合える家族仲の良さなど、一般の家庭よりもより高い水準の家庭環境が求められます

これらは簡単に準備ができるものではありませんし、
仮にこれらが準備できていたとしても、想定してものより大きな負担が発生する可能性があります。

子供を迎え入れる理想の環境を準備することが難しい場合は、使える資金や頼れる相手などがいないことを発端として
親や子供の境遇をより苦しくする可能性があります。

これらのことから
子供を産む前に自分が用意できる環境の確認をし、準備ができないのであれば飲まない方が良いと思います。

産む産まないという選択肢は親にしか無い事

これは、すべての出産について言えますが

親は妊娠する子を選べませんし
子も親を選べません


ですが
親は産む、生まないと言う選択肢があります

子供は親の産む産まないと言う選択肢には抗えません。

当たり前の事ですが
この親の選択肢は、子供の一生に関わってきます
上記で説明した問題点を踏まえて中絶をするという選択肢を選べるのは親のみです。

この事実を忘れないでいただきたいです。 

最後に


上記で説明した理由から、
出産前検査でダウン症と診断された場合に中絶をするべきとだ考えています。

出産、育児の権利は誰にでもありますがその権利によって、様々な人の人権が侵害されてはならないと感じています。

このノートで、すべての意見が言えたわけではありませんし
これから意見が変わるような経験や物事があるかもしれません。
何事もケースバイケースですし、断言できる事は少ないです。

このノートを書くにあたって、
ベースとなった考え方は、私の中での倫理観や道徳心です
社会的・政治的などの別の方面から見れば
また違う意見が出てくる事はあると思いますが、一個人の意見として参考にしていただけると嬉しいです。

もし、このノートで不快な気持ちにさせてしまいましたら申し訳ございません。


このノートを読んで
何を感じ、何を選択するのかは自由ですが

この様な意見と考え方があることはしっかりと覚えていただきたいです。



長くなりましたが
ここまで目を通していただきありがとうございます。

少しでもご参考になれば幸いです。


良い1日をお過ごし下さい


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