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「母」のイメージ

人はいろんな肩書きを背負って生きている
生まれた時はただの人だったけれど
年齢を重ねるにつれ、社会に参加するにつれ
「責任」というものが増えていく。
「母」もまた、その「責任」を問われることの多い肩書きだ。

「母」になった瞬間から
社会での「母とはこうだ」というイメージを押し付けられてしまう。

育児とは予想不可欠で変動的だ。
決して同じ「子」はいない。
エイリアンのような新生児期を経て、人間に近付いた赤子も気付けば小さな暴れん坊怪獣へと変貌する。
どんなに泣いてもどんなに理解できなくても
自分のお腹から出てきた我が子は可愛いものだ。
本当は毎日いっぱいいっぱいで
初めてのことだらけで
子供の行動ひとつひとつにヒヤヒヤしながら
日々生きている母。

そんな母を無責任な人々は
「やっぱり母は強いね」と言う
違う。
強いんじゃなくて強くならないとやっていけないのだ。
現代の日本社会は「母」の負担が大きすぎるから
強く逞しくならないと
自分の子供を守れない。

「強いね」と言われる度
「母」とはこういうものなのか。
こんなに日々必死でもそれが「母」として当たり前のことなのか。
そうやってどんどん自分自身でも
「母なんだから強く在らないといけない」
そんな風に思ってしまうのだ。

だからどうかお願い。
頑張る母にかける言葉は
「母いつもお疲れ様。もっと力抜いてやっても大丈夫だよ」
に変えてほしい。

少子化とはいえ、多くの女性が「母」というものになる現代
「母」の在り方に縛られてしまっている「私たち女性」は想像以上に多いのかもしれない。


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