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褒め言葉への返答

オーストラリアに住んでいる時、英語圏の人と話す機会を得て明確な違いを感じたのは人を褒める人が多いという事です。

私もそれはすごく気分良い習慣と感じたので、良いと思った事は素直に褒めるようにする事を心がけ今では習慣になりました。

それで気付いた事は、日本人は褒められ慣れていない人が多いなあという事です。

英語圏でも別に謙遜する人はいますが、褒められたら素直にその部分は喜ぶ人が多いです。

日本は、褒めてくれる人がいても自己評価が低い人や自信がない人などは変に考え過ぎている人が多いと思います。

私自身、人を褒めている時は本当に良いと思ったことしか褒めていません。わざわざ良くも思っていないのに探して褒めるとかいうめんどくさい事はしないし、自分自身媚びを売るような人を見るとどうしても分かってしまうのでそれは良く思えないからです。

それでも、こっちが本気で良いと思っているのにそんな事ないよとか否定してくる人がいると謙遜かもしれないと思いつつも何だかスッキリしないもどかしい気持ちになります。

それで何だか残念な気持ちにもなります。

中には自信があまりにない人だと、裏があるのか?と疑う人までいる。それは変だし面倒くさいコミュニケーションだなと思うんです。

褒められたら素直に褒めてくれた事実を受け入れるしか正解はないんじゃないかと思うんです。そもそも他人の感情なんて完璧に分かるはずないんだから。

自分の良い部分を見つけてくれて褒めてくれた。それがそもそも肯定的なコミュニケーションをしてくれている事実なんですから、取り敢えずそのまま受け取って喜んだ方が得じゃないかと思うわけです。

裏がありそうなのは、褒めている以外の行動で見抜く部分で言っている事とは分けて考えないと話がややこしくなってしまうとも思えます。

ともかく褒め言葉で使われた自分の部分は、第3者が客観的に判断した良い部分であるから言われた。それだけのシンプルな話なんです。

日本人は英語圏と比べるとあまり褒め合うという事をしません。全体的にそういう感じの空気だから、英語圏に行くと褒められ慣れていないから碌な返答が出来ていない人が多いと感じます。

日本と同じように、

「そんな事ないよ。もっと優れた人が沢山いるよ」
I’m not so good at this.There are many people who are much better to do.

みたいな事を言うと、めちゃくちゃ世界的には異質なコミュニケーションになります。

冷静に考えてみてください。

良いと思って伝えたくて褒めたのにそれを否定している事になってしまっているんですよ。

結果、自分の思った感覚まで否定されていると捉えられても仕方がないです。または、言葉通り取れば自分を認めていないポジティブな考え方の人じゃないからあまり付き合いたくないなとか。

その逆で、悪い人であれば自分に自信がないから自虐的なんだな。コントロールしやすい人で騙せそうだな!

とさえ思われる可能性も高い。

自分を謙遜して行儀の良い人なんて思われる方がうんと少ない。これだけ、日本と英語圏におけるコミュニケーションは異質なほどかけ離れているんです。

世界的には、どちらかと言えば褒められれば素直に喜び自分自身を肯定的に捉える。そしてそう言われた事実に感謝してお礼を言うのが自然。

これはすごくシンプルな話で、素直に自分を肯定的にそして相手のコミュニケーションも肯定的に捉えるから気持ちいい。そういう話なんです。

オーストラリアにいる間、本当に色んな人が私の事を褒めてくれ、凄く気分が良かったし良い事と思いました。

だから私も積極的に相手の良いところを褒めようと意識は変わりました。

そして褒めてくれた人には、
「ありがとう」という気持ちをまずは伝える。

全然難しくない。

ただThank you! とか、Thanks.とかそういう簡単な言葉で十分なんです。

そして褒め言葉で返すことできたら、めちゃくちゃ気持ち良いじゃないですか!

褒め言葉へどう返答するかで、どれだけ気持ち良い感情が生まれるか考えてみて欲しいです。

言葉って何を発したかで自分と周囲の気持ちも変化する力があるんです。

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