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分からない事を伝える技術

英語は日本語よりもハッキリと白黒つけて伝えるもの。そう考えている人は多いのではないでしょうか?しかし、それって真実なのだろうか?答えはNOです。

英語圏の人達も、日本に住む日本人もハッキリと分からない事があるのは事実です。同じ人であるし、そんなに単純に分かる事ばかりが世の中に溢れているわけではない。

それに尚且つ、自分自身の事だって分からない事があるのが当然。

全て分かってる人なんて何処にも存在しない。そういう事を案外忘れている人は多いんではないかと思う時は多いんですよね。

だから、分からない事は分からないとちゃんと伝える技術こそ必要。

少なくとも分からない事がある事を、恥じたり隠したりする必要性は皆無なんです。

日本は受験を筆頭とした減点教育による順位付けがベースなので、テストなんかで分からない事があれば成績は落ちます。そして、それがいけない事だと無意識化で認識する様になれば分からない事は良くない。だから、隠そうという心理が働いてしまう。

または、何とかして他人と差をつける為に分からない事があると認識すれば論点をずらして自分の得意分野に持ち込んだり、他人の間違い探しをして良く見せようとする。

足の引っ張り合いで、全体的に碌でもない空気が出来て全く気分が良くないコミュニケーションが生まれる。

そういう空気感は好きですか?

大体は最悪です。ストレス要素が無限に産み出され全くキリがないんです。

分からない事が必ずあるのが真理である以上は、それを隠そうとしたり埋めようとしたりすればとても心理的に大変で楽じゃありません。自分達で自らの首を絞めにかかる会話様式です。私は疲れて嫌ですね。

日本人である以上、海外の人と話していると日本の事を度々聞かれる事がありました。私はこういう風に思う性格だから、分からない事は分からないと言うし、何で知らないのか尋ねられれば答えます。だから変に気負いません。

私に取ってはそれが当たり前なので、オーストラリアに暮らす日本人が知らない事を聞かれ自信を無くしたり戸惑って外国人と喋る事を避けるのを見てきて非常に勿体無いなあと思う事が多かった。

分からない事が恥みたいに感じているから、自ら逃げているんです。

だって、知らないし分からないんだからどうしたら良いの?気まずいじゃない!

とか言われそうですが、私から言わせれば他人が分からない事や知らない事にそんなに執着する人なんていないし、いたらかなり面倒くさい人だからどうでも良いし落ち着けよと思ってしまう。

どう答えれば良いかは、場合によるけど

「あー、それは興味なくて調べた事もないし習った事もあるはずなのに頭に入らなかった。今調べてみるね」

とか何とか言ってスマホ使って検索すれば良い話。

逃げたり知ったかぶりした方が恥ずかしいから正直に対応すべきです。

話したくないなら、

「それ自分分からないし、話せないや。他に知ってる人いるだろうし検索した方が分かるよ」

と言わないと通じない人の方が多いです。

それに、逆に何で興味持ったか質問して会話を広げても良いし一緒に調べても良い話です。

逆に、

分かんないなあと言った後、おどけて冗談に持っていく様な高等テクニックさえあり得る。

こんなに分からなくても会話できるのに、

ヤバイ!分からない!答え方が分からないからどうしよう!気まずい!恥ずかしい!!

わーーーー逃げなきゃーーーーー

となるのは過剰反応です笑

良く日本人は他国の人に比べて、歴史や政治を知らないなど言われます。

興味を持ったら持ったで、知識になる点では良いのですが、分からないし知らないからそれが悪い事かといえばそれは全くの別の話。

だって他に興味があるだけなんですから、悪でも何でもないわけ。。ちょっと考えすぎです。

ある意味、他に集中している事が余計にあるかもしれないから幸せである可能性さえあるとも思えます。

オーストラリア人は果たして歴史や政治を全員が良く知っているのかといえば、答えはNOです。

全く知らない人もいるけど、別に会話には困りません。

“日本人は他国の人に比べて、歴史や政治を知らない”

という文面は、人によるとしか思えないので、マスメディアの無責任な拡大解釈によるものです。

そして、だからどうしたのでしょうか??

分からない事は分からないし、全ての事を知る必要性はありません。自由なんですから。。

それよりは、分からない事を伝える技術こそが余程重要です。

知識の出し合いと交換だけが会話じゃありません。

向き合う心遣いの方が余程大事になります。

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