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ナトリウムランプの灯

ナトリウムランプ(オランダ語: Natriumlamp、英語: sodium vapor lamp)は、ナトリウム蒸気中のアーク放電による発光を利用したランプのことで、ナトリウム灯(ナトリウムとう)とも呼ばれる。

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沢山のオレンジ色の光が暗闇の中に灯っている。

まるでその光景は
外国の古城の夜のようで
残暑の祭りの夜のようで

時が止まっているかのように永遠で
見たこともないほど幻想的で

ずっと心のどこかにその色が生き続けているような
なんだか泣きたくなるような

眩く、美しい光景だった。



これは、占いのお客様の後の出来事となります。

※登場人物が特定されないように情報を少し変えて記載しております。



相変わらず占いの仕事を続けていて、どうにかぽつぽつと常連のお客様がつくようになった頃、ブースの店長が私を呼び出した。

「深夜対応なんだけど、受けれる? 長期契約のお客様なんだけど」

深夜対応も長期契約もやったことがない私は、どういう内容ですかと詳細を尋ねる。同じ店で働くベテランの占い師が体調を崩し、私に代打が回ってきたようだ。

3月は世の中の区切りのシーズンであり、進路に恋に悩みを抱え 占いに来るお客様が多い傾向にある。お店はこの時期混んでおり、店勤務の占い師たちのスケジュールに余裕はないのに加え、既に半年分の金額を前もって受け取っているため途中で断るわけにもいかないという。その金額を聞いて驚いた。私の年収を遥かに超える金額だった。

衝撃を顔に出さないように努めていると、じゃあ、次の金曜の夜からねとスケジュール表をめくる店長。思い出したように言葉を付け足した。

あ、芸能人のお客様だからね。当たり前だけど個人情報厳守、あと絶対に目立たないでね。

依頼主は芸能事務所だった。一人のタレントの話し相手になって欲しいという。TVの仕事が多くなり本格的に売り出すために地方から出てきたばかりで不安だと思うので、相談相手になってやってほしいとのこと。秘密厳守をモットーにしているこの店のオーナーは昔から芸能界と深い関わりがあるそうで、こういう依頼がたまに来るのだという。

芸能界・政界・スポーツ界などにおいて、占いは「未来を見通す」ということで非常に縁が深い。華やかな世界ならではの高い報酬金額も納得できる。噂には聞いていたけど、仕事としては初めてだった。

…これ、何か粗相したらお店の損害になるんではないだろうか。安全面についての諸注意を聞きながらだんだん不安になってくる。

スケジュールは、曜日はバラバラで月に十数回。時間帯は深夜1:00から5:00の間店で一人待機をして、依頼人が来た際に占いを行う。

占い師の仕事は実は多岐に渡る。未来を見抜くこと。依頼人を慰め、癒すこと。時には厳しく指摘をして方向を修正すること。依頼人の話をしっかり聞くことはとても大事なことであり、悩みやストレスを解消できるように努めなくてはいけない。

1:00から5:00の4時間という長時間の占いを、通常同じ一人を相手に短期に幾度も行うことはなく、そんなに話が持つのか、時間が余らないのか、気まずくならないのか…と懸念が胸をよぎる。

やってみます、とは言ったものの、内心は不安でしかなく、帰り道のコンビニで週刊誌や新聞などを買って帰った。なんだか雑誌もずっしりと重たく感じていた。



初めて会った時のことはよく覚えている。

3月の冷たい雨が降る夜に、彼は濡れたパーカーを目深に被り、マネージャーらしき人物とやってきた。

急に雨降ってきちゃって。パーカーをはたくと暗闇にきらきらと水滴が光りながら飛び散った。何気なくフードをとった彼を見て私は目を見開いた。

すらりと背が高く、長い腕と上背の上に子供のようなあどけない笑顔を乗っけていた。なるほどこのギャップが売れるんだなと密かに思いながら挨拶を交わす。

わあ、同年代っすか?と彼は無邪気に大きなスマイルと共に質問をする。

ジャンルなどにもよるだろうが、実際の芸能人とはこういう存在なのか、と改めて驚いた。

圧倒的な存在感。彼がいるだけで空間が埋まるような気がした。振り向くだけで、手を動かすだけで視線が集まる。そこにいる人間の注目を一人で集めてしまうのだ。ステージでもないのに彼のいる場所だけスポットライトを浴びているように見えた。

いえ私年上ですよ、と若干生気を吸い取られ、心なしか色褪せながら私は言った。

そんな私を真っ直ぐ見つめると、よろしくお願いしまーす、と朗らかに彼は笑った。




契約が始まり、日常は一変した。昼夜は完全に逆転し、出勤は真夜中になった。日の入りとともに目覚め、日の出とともにベッドで目を閉じる。

同じ相手と4時間×週に3,4回話すなんて、そんなに話題がもつかな…という不安は予想と全く違う形で打ち砕かれた。

”占いに興味深々” だと言うその彼の要求は半端なかった。占星術、タロット、血液型占い、誕生日占い、霊視、六星占術、四柱推命… ありとあらゆる種類の占いを強要された。小さい声で専門外なんですけど、という私に「またまた~、出来るでしょ?」とにこにこと笑いながら占いをさせるのだ。

高額のお客様のため、彼の言うことは絶対で、私は仕方なく寝る時間を削り、やったことのない占いの方法を調べまくった。必要な道具に使用する経費は出してもらえたが、なかなか節操のない依頼者だなあ…と私は閉口していた。それでもさすがに10回を超すと占いの種類がなくなってくる。

うーん、じゃあ明日の天気は?

仕事もプライベートでも占う事柄がなくなり、明日の天気、株価の上下、挙句の果てには「俺の明日の夕食は何?」と言い出した。

…それって当たり外れは貴方の気分次第ですよねと言うと、いやあなたならできる。大丈夫!と笑顔で言われる。じゃあショウガ焼きで。と言うと、 いや俺マックの新作行こうと思ってた、と笑う。その笑顔を見てると、はたからは悩みなんか全くないかのように見える。

彼の悩みも、生い立ちも家族構成も交友関係も特技も苦手な食べ物も好きなMBAの選手も何もかもすっかり把握した頃には、占うネタがなくなり、トランプを持ち込んでババ抜きや大富豪をしだした。もうなんでもありだ。カードを引きながら見える彼の、茶色い綺麗な瞳と細くて長い指をよく覚えている。





では彼は悩みがなかったのかと言うとそうではなかった。

彼の悩みは仕事と家族に深く関係しており、解決するには仕事を辞める以外の選択肢は見当たらなかった。じゃあ仕事を辞めればいいのかという単純な話でもなかった。芸歴は10代のころからと長く、彼一人の意思ではもう既にどうにもならないくらいに色んなことが進んでいた。

まだ20歳を過ぎたばかりなのに、大きな板挟みの中でもがき苦しむ彼に、私は何もアドバイス出来ないでいた。

話題が悩みの本質に触れそうになるたびに、彼は微妙に話題をすり替えた。そうやって時間を稼いで答えを保留にしていたのだろうか。私も特に追及することはせず、何気なく当たり障りのない雑談をしていた。

彼はいつも明るく、辛いであろうことを口にする時も変わらなかった。よく笑い、喋り、沈黙に困ることはなかった。今思い返すと、私の方が気を遣われていたことがわかる。

そうやって数か月が過ぎようとしていた。花の匂いのする夜を抜け、夏がもうすぐそこにやって来ていた。





或る日珍しく体調を崩し、体がだるい位ではあったが病気を感染してはまずいと、私は占いを休んだ。

夕暮れの中買い物に向かう。まだ明るい、初夏の匂いのする午後7時。賑やかな喧噪の中、食事の匂いがあちこちから立ち込める商店街。久しぶりに明るい中を歩く。体調は回復し、休まなくてもよかったかなと思いながら買い物をする。

アパートに戻ると、エントランスに長い脚で座っている男性がいた。何気なく顔を見ると私はぎょっとした。あーやっと来た、と彼は無邪気に笑った。

どうしてここが分かったのと言うと、さっき車で移動中に見つけたんだとニヤリと笑う。たまたまアパートから出てきたのを見たのだと。ご飯でも食べない?と楽しそうに彼は言った。

彼はご機嫌だったけど、私は内心沈んでいた。もうこれはダメだろうな、と。彼といた時間は楽しかったし、憎からず思っていたのは確かだった。しかし彼は商売相手であり、芸能人である。そして私の仕事も普通ではない。タレントが抜け出して誰かと会うのは許されないだろう。

占いの仕事は実はとてもエネルギーを使う。人の心を覗くので、時には見たくもないものを見てしまう。同時に、相手の心に近づき過ぎてしまう。共感や同情することも多く、時には依頼人がべったりと依存してしまうことも少なくない。距離の取り方が非常に難しい職業である。

沢山の人が私を通り過ぎていく。占い師は背中を押してあげる存在になること。依頼人が幸せになること。
それは私の矜持であり、ポリシーでもあった。

押し問答をし、結局掃除をしてないからと自分の部屋には入れずに、アパートの屋上に非常階段で上がった。2階建てのアパートの屋上からは、隣の立派な高層マンションが見える。暗闇の中、彼は買ってきたビールを、私はサイダーを飲んだ。マンションは改装中で、工事のための沢山のオレンジ色のランプが灯っていた。

指一本触れたことはなく、まだ恋も始まっていなかった。それでも、誰かと安心して会話ができること。心を打ち明けることができること。それはとても心地良くて、幸せなことなんだと、楽しそうな横顔を見つつ、私は一人思っていた。

彼は上機嫌で、沢山の話をした。深夜を回ると、じゃあまた、と言って帰って行った。




案の定、次回はなかった。代金は支払われ、私も何も上司からは言われなかったが、彼が占いに来ることは二度となかった。

振り返るとあの頃、一番印象に残っているのは、彼の笑顔より、暗闇に浮かぶ、あのマンションの、美しい、幻想的なオレンジ色だった。

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