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ホコ天と私

ライブに行きたくてもなかなか夜の外出は許されぬ中学生の頃ユートピアのような場所を見つけた。
そこは週末の原宿の歩行者天国、通称ホコ天だ。

80年代アマチュアバンドがひしめき合い、リーゼントのロカビリー軍団がツイストダンスを踊り、赤いランドセルをしょったロリータファッションの名物おじさんが練り歩いていた何でもありなストリート。
私も主にシカゴ(古着屋)で調達したヘンテコパンク風ファッションで繰り出していた。
奮発して買ったラバーソールは擦り切れるほど履いた。

両親はライブ行きには基本難色を示していたけど昼間の外出だからお咎めはなかった。
大人の世界に憧れを抱いていた私が昼間から堂々と遊べる社交の場で、ここで知り合った人と当時文通したこともあった。
手紙で情報交換って今思うとすごい。

あの頃のホコ天の雄といえばジュンスカやザ・ブームだったが、後続の人だかりの多かったバンドも次々とメジャーデビューしていった。
まだ無名に近いバンドはフレンドリーに話してくれたり一緒に写真撮ってくれたりするから、後にイカ天(イカすバンド天国)に出たりすると勝手な親近感で凄く嬉しかった。

当然ながらバンドと観客の距離が近くて、とあるバンドのギタリストに淡い恋心を抱いたりした。
同級生の男子は子どもにしか見えなかった。
猫も杓子もみんなバンドやろうぜな時代の最中、ここが幸せの頂点なのではないかとすら思った。(すぐそんな事はないと気付くが)

テレビでイカ天の放送が始まると原宿はより一層カオスな状態で警察も出動する事もしばしば。
バンドも飽和状態でだんだんと冷めてきた中、最後にホコ天で見たバンドはBAKU。
もみくちゃになったときに写るんですで撮った写真にメンバーの毛穴まで見えるどアップが納められていた。
この日も人が集まりすぎて演奏中止になったような記憶。

爆発的なムーブメントの始まりから終わりを何となく見届けている間に、世にはフリッパーズギターが登場してアニエスベーようなフレンチシックなファッションがトレンドになった。
徐々に渋カジに舵を切っていた私は擦り切れたデニムやラバーソールをそっと脱ぎ、渋谷スペイン坂にあったルイセットで今までとは全く違う新しい服を買った。
降りる駅は原宿や下北沢から渋谷へと変わっていた。

ホコ天に通ってた事は学校でも話さなくなり私の中で封印してしまったまま大人になったので今でも仲の良い友人ですら知らなかったりする。
何度か一緒にホコ天に行った友人は流行り始めたスケボーに夢中になり私はファッションや洋楽に傾倒していった。

世の中のトレンドがほんの数年であっという間に変わってしまったのを身を持って体感した初めての出来事で、この間まで好きだったはずの物や場所が少し時代遅れのような空気を纏うのが思春期の私には少し悲しくもあった。
いつの時代もそうなんだろうけど。

余談になるが私のこの頃の大本命はブルーハーツ。
初めてお付き合いした人もブルーハーツのコピーバンドやってる人だった。
一緒にライブ行ったり青空を弾き語ってもらったり自作のテープもらったりなかなかに少女漫画の世界線であったなと遠い目。

この数年後は空前のクラブブーム(私調べ)が訪れるけど書ける話があるだろうか…。
気が向いたらまたいつか。

キースヘリングinホコ天




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