3児の母で鍼灸師。 こどもが生まれるまでは整形外科やら、鍼灸院に勤め、 長男出産後、海と山がほど近い町にイキオイで転居して鍼灸院を開設。 そして3兄弟の手が離れかけたところに母の介護の、いそじ日和。 鍼灸師になってまもなく四半世紀。 鍼灸院をかまえて18年くらい。 業界のなかの「つかえる下っ端」ポジションは不動のもの。 「あの頃は〜」なんてどの口がいうセリフですが、とにかく当時の鍼灸師ってみなさん「大先輩」。 「鍼灸師のあらいみきで〜っす」(旧姓)なんて出張しようものなら
よくばりなんです。わたし。 しごとも家のこともこどもたちのことも やりたい、しりたい、かかわりたい。 でもさすがにこれに思いがけずの介護がくわわると さすがに身うごきとれなくなってきた。 でも介護って、今は手放せることがいっぱい。 育児にくらべて、頼れるところもいっぱい。 親を看る、ことを覚悟して挑んでるんだけど 自然なことと思いたい。 そんなふうに みんなやってきたことを 自然に思い出したい。 これがなかなかうまくいくもんじゃないんだけど! やったろかい!ってね。
強制的にアンスクーリングに突入した三兄弟 もう、こんな機会はめったにない 学校ない 先生ない カリキュラムない 3ナイめざしてできるかぎり 口出ししないことにきめた どうするものかとうきうき放置している ひたすらなにもしない… ときどきサッカー… いや、集えないからただのたま蹴りだよね… たまーに 学校の課題はしているような まあ、やらなきゃいけないと思うから やってるみたいね 口出ししそうになるのを堪えて うすめで観察してきたけど とうとうこらえきれず 「そろそろ
んふ こんな日がくるとは思いもしなかったよ しかもこの道にすすんで四半世紀だよ 40にはやくなりたかったけど 50のわたしなんて想像できなかった コロナアウトブレイクのなか はらはら、どきどき、わくわくしながら つきすすんでいくよ ふたりの受験生、自由な三男坊 しごともなにもかもパートナーな夫 でもって、母の介護もはじまるよ いくつになっても、いろんなことして おこったり、ないたり、げらげらわらったり 母と妻と娘と職人としてのわたし あたふたしながらも自由をさがして