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魚もお話してくるのです。

私は動物や植物のメッセージが聞こえてくることがあります。
ここに魚、、、、も入れなければなりません。

私はルアーフィッシングが好きで、その影響で熱帯魚を飼ってた時期があります。
時間があったらアマゾンまでピーコックバスを釣りに行こうとしてました。
友人から、ピーコックバスの稚魚が埼玉に売られてることを聞きました。
ピーコックバスにも種類があるのですが、2種類の稚魚がいることを確認し
120cmの水槽を導入しお水をちゃんと作ってから、埼玉まで車を飛ばし迎えに行きました。5cmくらいの稚魚が50cmから70cmくらいにまで成長するのです。
とても楽しみでした。
私の自宅には、他に南米のシングー川に生息する古代魚のようなタライロン水槽、スポッテットガー水槽、オスカー水槽、日本の川を再現した小魚のアクアリウム水槽など、大きな水槽がいっぱいありました。カッコイイ魚が好きでした。

稚魚から育てたピーコックバス2匹は、私がコンビニの袋を持って帰ると
「ご飯!ご飯!」と尻尾をぶんぶん振って喜ぶんです。
来客が来ると、2匹とも壁側を向いてじっとして、怖がってこっち絶対に見ないんです。
魚もすごく懐いて可愛いです。

ある日、レイアウトを変えようと、水槽を移動した時
「やだ!やだ!やだ!!!やだ!!!!」って聞こえてきました。
ピーコックバスが猛反対してるメッセーが聞こえました。
120cmの水槽に並べるようにしたんです。
オスカーが隣にいるのが嫌なのか、、、、と理解して
もう一度水槽のお水を抜いて大移動です。とても大変なんです。
元に戻すと、2匹から「やだ!」が聞こえなくなりました。
魚にも気持ちがあって、自分の環境の変化に敏感に反応するのだと思いました。

いつも水槽の中から私を見てました。
水槽の前を移動すると一緒にくっついてきたり

「お腹すいた」
「ちょっと寒いよ」
「水が好きじゃない」
「このエビ美味しい」
「電気消して」
とか、メッセージがやってきたことがあります。

部屋の水槽のレイアウトを変えたのには訳があって
アロワナを迎えようと、大きな水槽をもう一台置こうとしていたからです。

ある日の夜、アロワナが名古屋港水族館に、自然に近い形で飼育されてると、魚の雑誌を見て知りました。
私はそのまますぐに妹に犬を預けに行き、そのまま東京から名古屋まで車を走らせました。
名古屋港水族館のそばで車中泊をし、開園と同時に滑り込んでアロワナ水槽に一直線しました。
カッコ良すぎて、ずーっとただひたすら見つめて過ごしました。
どのくらい見てたか覚えてないほどです。
他の魚はほぼ見ないでそのまま東京にとんぼ帰りして、仕事に向かいました。

お店にもたくさん通い、色々知識も得て、
まずは120cmの水槽で飼い始めようとしてたのですが
水槽の配置が、2匹の反対でうまくいかなくなったので、
これは私のエゴを押し付けるわけにいかないなと思い、
ならば広いお家に引っ越して、
巨大水槽を置けるようにしましょうと思いました。

夏のある日、私は海外ロケのお仕事にどうしても行かないとならず、
1週間、妹に魚の餌やりをお願いしました。
私はパラオ諸島まで行ってました。
無人島を船であちこち回って撮影します。
綺麗な海と見たことのない綺麗な色の魚を見たり、イルカと泳いだり
満喫してた時、、、、急に胸がグッと締め付けられ
ものすごい胸騒ぎがしました。
楽しい時間に飲み込まれ、そのまま時間は過ぎました。

帰国し、部屋に入ると熱帯魚水槽の魚がほぼみんな死んで浮いてました。

私は大泣きしながら魚を拾い上げ、実家の庭に埋めに行きました。
胸騒ぎはこのことだったのかと思いました。
そうなってしまった理由は、後から妹の発言で明らかになりましたが
全ては私が海外に行ったことが原因なので、もうしょうがないことです。

あの頃はそうやって大きなカッコいい魚を飼うことが楽しく、
いつか巨大な水槽を作って、そこで魚を飼うぞと思ってました。
でも、
やっぱり生きるべきところで生きてほしいなと思うようになりました。
パラオ諸島で、広い広い海でイルカと一緒に泳いだり
ボートについて泳いできてくれたり
伸び伸びと泳いでたイルカ。
あの経験が私の意識を変えてくれた気がします。
飼うことが良くないというのでは全然ないのですけどね

愛魚を失ってから気づいた、本来の自然の中で生きることの素晴らしさ。
飼うということの責任。
色々考えさせられました。

魚が犬のように懐くなんて、、、
話しかけてくれるなんて、、、
思い出すと切ないのですが、、、
良い経験をさえてもらえました。


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