激動の消滅

 こんな気持ちは若い頃以来だったかなと、米村は思った。
 窓を開けて、外の天気を確認する。
「あー、いい天気だねぇ」
 錆びたヤカンに火をかけて、棚からティーバックが入ったを取り出す。隣の一軒家に住む佐々木の妻が旅行のお土産に渡してくれたものだった。箱から一つ、オレンジ色の袋を取り出して、椅子に腰をかけた。ティーバックを湯呑みに入れて、お湯が沸くのをじっと待つ。
「米さーん」
 玄関の扉を叩く音が響く。米村が扉を開けると、佐々木の妻がビニール袋を片手に立っていた。
「持って来ましたよー」
 妻が親しげに話しかける。
「行きましょうか」
 米村の家の駐車場へと歩き、止まっていたシルバーの車の運転席に乗り込む。続いて米村も助手席に乗り込み、シートベルトを閉めた。
 米村の指示に従いながら、妻が車を走らせていく。森の奥まで入ると、米村が車を止めるように言う。妻はビニール袋だけを持って外へ出る。
 十分ほど歩くと、米村が着ていた上着の内側からペットボトルを取り出す。
「あら、わざわざすみません」
 丁寧にお辞儀をして受け取ると、妻はペットボトルのフタを開けて口に流し込む。
 二人が奥まで歩いていくと、深い穴があった。妻が屈んで穴の底を覗き込む。
「すごーい。こんな深い穴みたことな...」
 妻が気づくと、その身体はすでに穴に落ちている。
 米村は何年もかけて曲げた腰のまま、穴の底を覗き込む。
「あんたが死ぬか、私が死ぬか」
 数年ぶりの運転に戸惑いながら、ゆっくりと帰路を走る。
 玄関を開け、鍵を閉めずに中に入る。
 椅子に座り、湯呑みに入った渋い紅茶を飲み干した。

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