親は子供の乗り物かもね
先日観に行ったライブでSuiseinoboazの石原正晴が曲間のMCで「子供ができた」と報告していた。
Suiseinoboazとの出会いは確か中学時代。
TOKYO NEWWAVEという新進気鋭の若手バンドのコンピレーションアルバムをたまたま手に取って、その中にボアズも参加していた。
(andymori、amazarashi、シャムキャッツ、東京カランコロンなど、今考えるとすごいメンツ)
当時のボアズは鋭く尖った音楽集団だったが、今はさらに研ぎ澄まされて『3020』という邦楽史に残る名曲を生み出している。
「親は子供の乗り物なのかもね」
石原正晴はそう言って新曲を演奏しはじめた。
そういえば、だいぶ昔に当時の彼女に「もし子供出来たらどうする?」と聞かれたことがある。
その時は「たくさん傷ついてほしい」と言った気がする。
(「へへへ」と笑って返したような気もする。)
「傷ついてほしい」という言葉は裏返すと「優しい人になってほしい」ということ。
『優しい』という字は『人』に『憂い』と書く。
人の憂いを知っていることが本当の優しさなんじゃないかと自分は思っている。
沢山辛いことがあって、悲しいことがあって、傷ついたことがきっと、誰かを思いやる優しさへと変わっていく。
優しさは誰かから教えてもらって身につくものではなく、さまざまな人と出会い、さまざまな経験をしていくことでしか気づけないと思っている。
だからこそ子供には、楽しいこと辛いこと含め色んな経験をしてほしい。
良い悪いを親の判断で子供に押し付けるのではなく、なんでも経験してほしい。
勉強したければすればいいし、遊びたければ遊べばいい。何をしても構わない。
ただ、見たくないものは見ない、知らないことは知らない、という食わず嫌いにはなってほしくない。何事も経験して、そして感じてほしい。
経験の中で感じたことをそのまま感じてほしい。
何かあれば俺が責任持つ。
自分がなりたい親のイメージは、はじめてのおつかいで後ろからついてくる隠しカメラ持ったスタッフみたいな感じかもしれない。
子供は親の乗り物で、親が操縦するものだと考える人もいるが、自分はそうではないと思う。
親は子供を遠くまで運ぶ乗り物で、操縦は子供次第。
さまざまな景色を目に焼き付けてほしい。
そう願っている。
親になるのは、遠い先かもしれないし、もしかしたら意外と近い将来かもしれない。
そんなことを考えるたびに「親は子供の乗り物なのかもね」という石原正晴の言葉と、その後演奏したTHE RIDERを思い出すだろう。
黒霧ボール飲んで酩酊しながら観る小箱のライブは、帰り道の耳鳴りも余韻となって後を引く。
つかれたら、うちにかえろう