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3.11

paioniaというバンドが好きだ。

前もnoteに書いたが、2022年は『人の瀬』をよく聴いていた。だいぶ救われた気がする。


そんなpaioniaに「東京」という曲がある。
福島出身の彼らが震災について歌った曲だ。

セルフライナーノーツを見つけたので、備忘的に少し引用してnoteに残しておこうと思う。

2011年の3月11日に、僕たちは福島にいた。

震災から1週間経って、僕は東京に戻った。
新宿駅南口のバスターミナルに降りるといつも通りの、安定したせわしなさで街は動いているようだった。
山手線車内の液晶広告ではこの前と同じように女子大生モデルみたいな人が居酒屋のこだわりの逸品をレポートしていたし、僕の向かいの席には恋人同士が互いにもたれ合って、心底幸せそうに佇んでいた。

この街は僕に関係がない。ばく然とそう感じてからは、僕もこの街とは関係なく生きていこうと思うようになった。

震災を受けて、多くのアーティストがいち早くリアクションをとった。
ある人は命の尊さを訴えて、またある歌手はこういう時にこそ音楽を、と復興支援の曲を作って発表し、色々な媒体がそれらを取り上げた。

正直絆の存在を掲げられてもピンとこなかったし、音楽を発表する側の立ち位置みたいなものがよく分からず、そういう楽曲にあまり関心が持てなかった。
何より、渦中では役に立ちそうもないと感じた音楽を、いつか必要とするかも知れない人を想って用意しておくにとどまるなら良いものを、
自分の希望するものを自分の好きなタイミングで自由に選べる素晴らしい時代になったというのに、寄ってたかって押しつけるみたいに提示しているような印象を持ってしまう、そんな状況に嫌気が差した。
自分に必要なものは、自分で選べると思う。
その時に、選択肢をたくさん作っておくという事が、ものづくりをする人の役割の一つのような気がする。

この歌詞は、いわば髙橋勇成による3.11以降の手記なのだと思う。


いつまでたってもどこまでいっても

そこはどうしようもなく東京だった。

つかれたら、うちにかえろう