東京コンプ
大学に入って初めて友達になった子は福島出身だった。
東京生まれ、東京育ち、悪そなやつは大体友達、な自分からしたら、地方の同い年と友達になることがとても新鮮な経験だった。
当時、自分の上京してきた人のイメージは、
『無人駅からワンマン電車に乗り込み、出発した電車から車窓を眺めていると、地元の知り合いたちが大きな旗振って「東京行っても元気でなー」と電車と並走しながら手を振っている。』
みたいな感じだった。
地方出身者は全員そうやって上京してくると割とガチで思っていた。
だから、「はるばる東京まで来たんだな…」と地方出身者と話すたびに少し泣きそうになっていた。
しかも最初の友達が福島出身だったから、震災の話とかもあって、より感情移入してた気がする。
今となっては地方出身者の友達なんてカレーの中のじゃがいもくらいゴロゴロいる。
でも、未だに地方出身者と会うたびに少し感情移入してしまう。
それと同時に自分自身の東京コンプレックスを感じてしまう。
京都出身のくるりというバンドに東京という曲がある。
曲名の通り、京都から東京に出てきた時の曲。
この曲の歌詞の意味を頭で理解しようとすることはできても、東京で生まれ育った自分には東京の街に出てくる時の感覚を本当の意味では理解することはできない。
(ちなみにこの曲は、岸田繁が小銭数枚しかないくらいのときに東京の綾瀬のスタジオでできたらしい)
他にも、東京にまつわる曲は沢山あって、例えば銀杏BOYZの東京とか、フジファブリックの茜色の夕日とか、きのこ帝国の桜が咲く前にとか、ベランダの(ever)lightgreenとか、それらを聴くと少し悲しい気分になる。
一生理解できない感覚。
頭で理解した気になったり、心境を考えたりすることはいくらでもできるけれど、本当の上京を知ることはできない。
どこまで行っても東京に『帰る』になってしまう。
東京に『出てくる』というのは、本当はどんな感覚で、どんな感情で、どんな匂いなんだろうか。
『東京への憧れ』への憧れ。
つかれたら、うちにかえろう