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こわいゆめ

息子が「こわいゆめみた」と言う。

パパと電話した日、パパに久しぶりに会った日、それから数日後。
内容を聞いても分からない。
真意が分からない。

多分怖い夢は見ていない可能性が高いと思う。
寝落ちしたかしてないか、もしくは寝落ちしてすぐに言ってくる。
眠りと現実の狭間の朧げな感覚の時に、彼は何を思っているのか。

甘えたくて言っているのか、寂しくて言っているのか、はたまたパパへの思いが…?
私は考えることしか出来ないし、彼にただただ伝えることしか出来ない。
「こわかったね」「ママがずっとそばにいるよ」「おててつないで寝ようね」「大好きだよ」
繰り返し伝えて、手を握ったまま寝付く彼に、
愛しさと申し訳なさと虚しさとぐっと苦しくなる。

保育園に入れる時に、
私の手から離れるんだ、
もう全てを把握してあげられないし、
泣いてる時に抱きしめてあげられないし、
悲しいこと怖いことから守ったりフォローしてあげたりすることができない。
その可愛いつたない言葉や表現たちを全部受け止めることができなくなる。
ぴったり過ごして来たから、絶望を感じた。

幼児教育を学んできた私は
息子を育ている時、大変さはあれど手に取るように発達や成長段階を実感して来た。
一緒に居て、同じように過ごすのが当たり前。
一心同体ってこういうことかな。

のぶみさんの本に

「おなかのなかでは ひとつ ぼくがママで ママがぼく」
(うまれるまえにきーめた!、2019、のぶみ、株式会社サンマーク出版)

とあったけれど、お腹の中から出て来ても感覚的にはそんな感じ。

でも彼は1人の人間であり、私ではない。
だけど、私にとってはもう一部なのであって。
私が見る全ての物事を彼を通して見るようになってから、世界が変わったのに。
その世界を共有できなくなってしまう。
飛行機を見つけても、救急車を見つけても、犬や猫、可愛いお花を見つけても、
全部を一緒に味わえなくなった。
寂しくてよく泣いた。
申し訳なくて泣いた。
何のために働くんだろうと泣いた。

「正解はないから、自分で正解にしていく」
頭では分かっているけれど、後悔の言葉たちが、
考え出すと頭を埋め尽くす。
私は弱い。

こわいゆめがなくなりますように。

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