見出し画像

いつの間にか40年、あと何年かな?

夫と二人暮らしの気楽な日々、4年前にお姑さんを看取り、4人の子供のうち3人は結婚して、それぞれ県外に住み、末っ子は一人暮らしを楽しんでいます。☺️孫はまだ1人、その孫にミーバーと呼んで欲しくて、このニックネームにしました。


お姑さんの記事もよかったら見てね💓



2週間ほど前に結婚40年を迎えましたが、特に記念日を意識していなかったので、過ぎてから、40年もたったのか、って1人で思っていました。

結婚した時

この人となら楽しい家庭を作れる

って思っていて、40年たった今、その思いが実現していることをしみじみと喜んでいます。

長男が、昨年一緒に食事をした帰りに

「60になって、こんな夫婦になれたらいいな」

とボソッと呟いたこと

次女が

「お父さんとお母さんを見て、結婚したいって思ったんやで」

といった事。

嬉しい事に子供たちは、私たちの事をそれなりに、いい親だと認めてくれているようです。

でも、私自身はとてもいい親どころか、いい人間でもなかったと、反省する事ばかりなのですが、そんな私でも神様は幸せを感じさせて下さるんだって事を本当にありがたく思います。

私が両親と暮らしたよりも長い年月を夫と共に生きているのです。

「こんな人とは一緒に居られない」

と何度思った事でしょう・・・ここに来るまでは、長い苦難の道がありました。

その事の全てが私にとって必要な事で、それを引き寄せていたのは紛れも無い私自身であったと、その当時の自分の心を振り返っています。

子供の頃の私は

家は貧乏だからお金は使えない、父が嫌い、弟や妹はめんどくさい、こんな家は嫌だ

ってマイナスの思いばかりで、唯一、母のことは大好きで、母を悲しませる父が嫌いでした。

小学校の頃から、牛乳配達などのアルバイトでお金を稼ぎ、親からは一切お小遣いをもらっていなかったから、自分で何でもできると思っていました

そんな私が結婚したのは、ユーモラスで明るい人でしたから、この人と一緒なら楽しい家庭が作れるって思ったのです。

ところが、見えていた良いところより、悪いところの方が多くて、最悪だったのは、自分でお金を管理できない人だったのです。

それから、私の悪いところ探しが始まり、実家の宗教だった、天理教の教えに照らし合わせ、こんなことは間違っているって、ことごとく夫や、お姑さんを否定し、自分までも許せないって思うようになって行きました。それを口に出してはいけないと心に溜め込んでいたので、大病はありませんでしたが、頭痛や肩こりは慢性的なものでした。

幸せな家族を夢見ていた私は、信仰にその答えを求めましたが、両親の姿や他の信者さんの姿を見て、必ずしもそれが正解ではないと思って、多くの本を読みました。

初めて参加した講演会が高木善之さんの環境問題の講演でした。そこで、知らなかった地球環境の汚染を教えられ、衝撃を受けました。高木さんは、生き方の話もされて、そこにも惹かれるものがありました。また、小林正観さんの講演会では、ありがとうって毎日何回も唱えると奇跡が起きると言う話を聞き、早速実行しました。

いくら口でありがとうって言っても、呪文のように毎日100回以上唱えても、心はそんなに簡単に変わるものではありません。

神様は、自分を改めるための定規として、いろんな事を教えられているのに、私はそれを、人をはかる定規として使ってしまった。そして、相手を責めている自分もまた責めていた事に全く気づかずに20年ほど経った時、私達はどん底に落ちました。

会社づとめをやめて、自営業をしていた夫の事業がうまく回らなくなり、自己破産したのです。

その頃は、夫の浪費のせいだと思っていましたし、離婚届を用意して、自分のハンコも押していたのですが、夫がハンを押さなかったので、引き出しに入ったまま数ヶ月が過ぎましたが、あることがきっかけで、私は

「やり直そう」

と決意して離婚届を捨てました。

あとでその時お世話になった天理教の法律相談の先生が

「自己破産したら99%は離婚やけど、よく思い留まられましたね」

とおっしゃいました。

その後、引っ越して夫は新たに会社に勤めることができ、少しづつ希望が見え始めた頃に私の心の中にあった固い冷たい氷のようなものが溶けてきたと感じました。 

ありがとうの言葉は何十万回ももっと唱えていたかもしれません。そうそう、「斎藤ひとり」さんの本もよく読んでいましたから、天国言葉も唱え、ホ・オポノポノ本も読み、その言葉も唱えていました。

タダで、できることは何でもやりました。

お姑さんを最後まで見ようと決めたのもこの頃でした。

ところが、三年後にまた私はどうしようもない、辛い試練を受けたのです。

長男の失踪

勤務先の居酒屋さんから出勤してこないって連絡があったのです。その頃、長男は、勤務先の寮に住んでいたので、私は何があったのかさっぱりわかりませんでした。ここには詳細は書きませんが、2週間ほどして見つかった日はちょうど私のおばあちゃんが亡くなった日でした。

「おばあちゃんが見つけてくれた、おばあちゃんありがとう」

感謝と懺悔、これは神様からのメッセージ

「このままの私ではいけない」

と本気で変わろうとしました。

父から教えられた天理教の「徳をつめ」と言う考え方は、確かに大事ですが、自分を大事にするとか自分に素直にと言う事には重点をおいていなかったので、人に親切、人によくしてあげて、自分は辛くてもいいと思い、それでは満たされない心がストレスになって、幸せはどんどん遠ざかって行きました。

本当は神様は、

「心しだいに与える」

と教えて下さっていたのですが、その事の意味がわからなかったのです。

心のあり方が重要だと気づいてからの私は、自分を満たすこと、喜ばせる事をたくさんしてきました。そして、願い事を紙に書くとか、マイナス言葉は一切言わないとか、いいことがあったら、神様ありがとうございますと、心の中で呟くとか、相変わらず、タダでできる事を忘れずにしています。

そうして、いつの間にか、頭痛も肩こりも無くなっていました。初めて住んだ借家の大家さんから出て行って欲しいと言われた時も、期限までに願い通りの家に引っ越しでき、子供たちが順調に結婚し、夫は勤務先で重宝され、私は58歳の時に願ってもない正社員と言う就職先に転職することができたのです。もちろん、家族みんな健康で、何の不安もありません。

貧乏が当たり前と思っていた昔

そう、もう昔のことです

今は裕福だから

私は世界中で一番幸せ!!

こう思えることが、もっと幸せになるための心のあり方💓

40年連れ添ってきた夫ですが、あと何年一緒にいられるかわかりません。人の命なんてはかないものってお姑さんが亡くなった時に思いました。だから、もっと楽しく、もっと仲良く生きていこうと思います

そうそう、願ってもいなかった奇跡が起きました!!この事はまた書きます😊

最後まで読んでいただきありがとうございました✨

ミーバーでした\(^o^)/


感謝✨




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?