小学校に行けなかった話(改訂版)

(※はじめに、これは自分の経験から考えたことを書いたものです。
これが、誰にでも当てはまることではないということをご了承ください。1つの体験談として受け取ってください。)

わたしは、小学生の頃から学校が苦手で、不登校の時期がありました。
小学校に行けていないとき、「何があったの?」「どうしたらいける?」と、いろいろ聞かれたけれど、私は自分でも何があったのかも、どうしたらいいのかもわかりませんでした。いじめられたわけでもなく、友達もいて、勉強も好きで、学校を嫌いになる理由は、特にありませんでした。それでも、学校には、教室には行けませんでした。あれから時間が経った今なら、当時のことを少しは言語化できるような気がして、この記事を書いています。

不安だった

小学生の当時は、自分でもどうしたのかわからないけれど、とにかく学校に行くのが苦痛でした。行かなきゃ!って思うけど行けなくて、そんな自分を毎日責めていました。そして、そんなもやもやを言葉で説明することもできなくて、怒ったり泣いたりすることで表現していました。

当時のことを振り返って思うことは、ずっといろいろな不安が常に頭の中にあって、学校どころじゃなかったんだろうなということです。
わたしの頭の中にあった不安は本当に「多種多様」でした。
先生や他の生徒との関わりの不安など、よく言われるものもあれば、
それに加え、「学校にいる間に家が燃えていたらどうしよう」「学校から帰ったら家族みんないなくなってたらどうしよう」「寝ている間に異世界に行っちゃったらどうしよう」「戦争が始まったらどうしよう」「みんなが帰ってこなかったらどうしよう」といった不安まで、いろんな「どうしよう」でいっぱいでした。
「異世界に行ってしまう」なんて、突飛な想像のように思えますが、小学生の私にとっては、居ても立ってもいられなくなるくらいの恐怖でした。(今でも、異世界に飛んでしまう想像をしては1人で怖がっていますが笑)

それから、わたしは小学生の頃、地球温暖化と戦争のことばかりを考えていて、本当に今にも世界が終わるのではないかと思っていたので、「いま、工作とかやってる場合じゃなくない?」とか考えていました。かといって、それを言っても真面目に取り合ってくれそうな人もいなかったので、上に書いたように1人で不安のサイクルにはまっていました。その後、不安になりそうなことを遮断するために、ニュースを一切見ないで、なにも考えないようにしました。
(それは、今はちょっと後悔しています。あの時、すごくたくさん考えて行動することができていたら、わたしにも変化を起こせたのかなとか、いま声をあげている若者たちを見ていると思います。)


不登校で辛かったこと

私は、幼い頃から負けず嫌いで、完璧主義で、みんなが当たり前のようにできていることができない自分がとても嫌でした。だから、教室に行かないから勉強ができないと思われるのが嫌で、勉強はとても頑張っていたと思います。
しかし、勉強で褒められることがあっても、やっぱりみんなみたいに学校に行けないことを「欠陥」のように感じていました。だから、毎日のように自分に厳しい言葉をかけていました。自分で自分に厳しい言葉をかけるって、毎日、毎分毎秒、誰かに怒られているみたいなものです。いい気分なわけはなく、いつもイライラして悲しくて、それは不登校の間辛かったことです。

他にも、周りからの対応で辛かったこともありました。例えば、「とりあえず1時間だけ行ってみよう!」「行ったら楽しいかもよ」と教室に連れていかれること、勉強や人との交流の大切さを話して聞かされること、わたしがいない間に教室ではどんなに「楽しい」「意味のある」ことをしているかを聞かされることなどです。
それが、周りの人たちの思いやりだったことも、助けようとしてくれていたことも理解しています。そういうアプローチがうまく行くこともあるのはわかっています。だけど、当時の私には、「こんなに簡単なことができないの?」「あなたはやらなければならないことをできていないんだよ!」「you are a failure!!」と言われているように感じられました。そうして、私が自分に言い聞かせていた厳しい言葉に、先生たちからのお墨付きを受けたように思われて、自分への嫌悪や怒りが大きくなって、もっともっと辛くなりました。

じゃあどうして欲しかった?

当時の私は、そうやっていろいろな言葉をかけてくれる周りの人に対して「ほっといてよ!」と思っていました。
「学校に行けない」という事実の裏に、介入を必要とする問題が潜んでいることはあると思うので、慎重に対応しなければならないことではあると思います。だから、学校に来ない子を誰でも放っておけばいいとは思いません。
だけど、「学校に行く」という他の人にはどうってないかもしれないことに、私のように毎日たくさんのエネルギーを使って気持ちの準備をしなければならない人たちに、たくさん声をかけることはあまりよい考えではないような気がします。

不安は、時間も場所も関係なく襲ってくるけれど、学校は時間も場所も決まっていてたくさんの刺激に溢れています。私は、その流れの速さや刺激の大きさについていけませんでした。自分の気持ちの準備ができる前に、朝の会が始まって1時間目、2時間目…と私の内面のスピードの何倍もの早さで進んで行って、周りからの音や視界に入るものに集中する準備ができていない私にとっては、笑い声や教科書の文字も意味を持たない、雑音のようにただうるさいものでした。

なので、「早くどうにかしなければ」と思うのではなく、そっと見守ってみようくらいだと、わたしも気が楽になったのではないかなと思います。

不登校のその後

小学2年くらいから、遅刻欠席早退、学校に行きたくない日が増えていましたが、4年生の頃が、私にとって「学校に行けないこと」が一番大きな問題だった時期です。担任の先生とうまくいかず、ずっと保健室にいました。毎日遅く登校して、早退をして、たまに学校から走って逃げ出すこともありました。でも、5年生に上がる少し前のある日、ふと「明日は教室に行こう」と思いました。
それからすこしずつ教室に行ける時間も回数も増えました。今でも、なぜあの時そう思ったのかはわかりませんが、あの時やっと、教室に行く準備ができたのかもしれないなと思います。
それでも結局、最後まで「普通」には登校できませんでした。遅刻早退欠席は多かったし、保健室で過ごすことも多々ありました。

今でも、毎日のように、いろんなことを考えて不安でいっぱいになることはよくあります。
将来のことや目の前のやらなければならないことに関する、どちらかといえば現実的な不安に押しつぶされそうな時もあるし、小学生の時と同じように、どこまでも広がっていく「どうしよう」の海に溺れて固まってしまう時もあります。
だけど今は、そういう不安が大抵は現実にならないことを知っているし、心配してもどうにもならないことがあるのも知っているし、小さな不安が現実になってもどうにか乗り越えてきた経験があるので、少しは上手く対処できるようになりました。また、苦手なことや対策法を研究して、苦手なシチュエーションを回避することも覚えました。

最後に

自分でもなんだか理由がわからないけど学校に行けない子って、きっと、自分の頭の中で必死にいろんな感情とか不安とかと戦っています。ぼーっとしているだけに見えても、怠けているように見えても、たぶん頭はフル回転しています。だから、責めたり急かしたりはしないでほしいなと思います。
何事もなかったかのように学校に行き始めるかもしれないし、学校に行きたくない理由について説明できるようになるかもしれないし、学校以外のところで創造性を発揮してなにかを始めるかもしれません。小学生の頃などは特に、ちょっと静かに見守ってみるのもありじゃないでしょうか。
(繰り返しですが、いじめや家庭の問題、メンタルヘルスなど、深刻な問題がないかは慎重に見極めなければならないと思います。)

保健室や図書室で過ごした日々、いろんな先生が話をしにきて、カウンセリングを受けて、友達が教室に行こうって言いにきてくれて、同じように保健室に登校していた子と仲良くなったり、うさぎと遊んだり、本をたくさん読んだり…
学校から走って逃げているわたしを先生が追いかけている様子を見て、心配した地域の方が声をかけてきてくれたこともありました。
本当に本当に、いろいろなことがありました。たぶん、「普通」に学校に行けていたら経験しないこと。その経験は、確実に今の自分の考え方や性格に影響を与えています。辛いことはない方がいいけれど、あの経験がなかったらいまの私はいないし、気づけなかったこともたくさんあるのかもしれないと思うと、「まあいいか」と思うようになりました。

わたしは、学校に行けなかった小学生時代を通り抜けて、(一応)学校に行くようになりましたが、「生きづらさ」のようなものは今もあります。「いつか大丈夫になる」と簡単に言うことはしたくありません。
だけど、小学校に行きたくなくても、行けなくても、まだその先に学校に戻るチャンスはいくらでもあるし、学校に行く以外の道を見つけるための時間だってあるし、まずは一旦、休憩してみてもいいのではないでしょうか。

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