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「彫刻とは経験すべき何かである」

先日、あるデザイナーさんのインタビューで「彫刻的」という表現が出てきてから、デザインを表現する時に何気なく使ってしまうこの言葉の意味を、ずっと考えていました。

そして、その言葉の答えを求め、誘われるかのように向かった「イサム•ノグチ、発見の道」。

結果、たくさんの示唆に富み、より複雑で、むしろ期待していたような簡単で明確な答えを紡ぎ出そうとしていたこと自体が恥ずかしく思えるほどで…。さらに深いところに突き落とされてしまったようです。

3フロアで展開された今回の企画展。テーマは、イサム•ノグチが大切にしてきた「体験すること」を促すものでした。

光の彫刻「あかり」

光の彫刻「あかり」

禅の世界を表現した「void」

禅の世界を表現した「void」。イサム•ノグチは、モダンアートでも精神的なものを表現できる。モダンアートの抽象表現によって、神の表現が可能になると考えていた。

都会的な素材への探求「アルミニウム」

高層ビルが立ち並ぶマンハッタンには、大理石ではなく都会的なアルミニウムが相応しい。飛行機でも使われるアルミはスピード感を感じる素材。

日本の折り紙から着想した作品。

イサムノグチは、彫刻の遊園地を作りたかったそう。実現していたら、それはユニークな遊園地だったはず。

幻想的な「あかり」から始まり、素材への挑戦や、彫刻で表現することの可能性を探っている様子を感じ取っていく。最晩年の作品は撮影不可でしたが、やはりここが圧巻でした。

晩年、イサムノグチの右腕として支えてきた和泉さんのインタビューをYouTube で発見。拝聴すると、「野口先生は、石を削っても削っても、小さくなるどころかどんどん大きくなっていく」「まるで神が宿っているようだ」と仰っていたのが、心に響きました。まさにそれを感じることができるのは、最晩年の作品群だったと思います。

イサム•ノグチは書籍もたくさんあるように、エッセイをはじめ、言葉に遺しているひとつひとつがとても示唆に富んでいます。今回の企画展で印象に残った言葉たちです。

イサム•ノグチにとって、彫刻とは、
•森羅万象と繋がることのできる何かであり、生きることへの肯定を無条件に促すことのできる力の源である。

•ただみつめるだけでなく、完全に経験すべき何かと考えている。

•日本ではアートと工芸の境界線が曖昧である。アートを日常で使うことで、人々の生活の質を向上させることに肯定、共鳴する。

•見切りをつけるのが難しい。石はいじりすぎると死んでしまう。素材も自然も殺さぬ様にする。

昔、NYの庭園美術館に行きました。
道中、誰もいなく、何にもない、茶色い砂埃が立つ工場地帯をひとりで歩いていて、少し不安に駆られたこと。美術館に着いたら一変して、穏やかな空気に包まれ心が和み、その空間に没頭したこと。そして、当時見ていた作品を再び目の前にして、「あ、これ見たことがあるな」と、急に旅の記憶が鮮明に蘇りました。体験は忘れない、そう感じた瞬間に、今回のテーマでもある「体験を、経験を大切にする」ことの意味を、改めて体験できた気がします。

NYの庭園美術館で見ていた作品。これで記憶が蘇る。


おすすめは、3回観ることかもしれないですね。
1回目は解説なし。2回目は、サカナクションのサウンドツアー。3回目は、音声解説付き。

私は、音声解説から始めてしまいましたが、、サウンドツアーは是非とも体験したい。そして、何もなく自分の感覚で、この空間に没頭してみたい。そんな風に思える、身体に沁み渡る企画展でした。

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