人生でもやもやする時って、何回くらいあるんだろう

最近、「もや」が旬なワードになっているそうだ。
そんな旬なワードが入った「もやもやキャリアおとなカレッジ」にジョインすることになった。流れ的に。

「もやもやをなくすのではなく、もやもやと上手につきあう生き方を目指す」のをテーマに、

① 自分と似ている悩みや不安を持っている人と共感する体験
② 自分より先を生きている人から未来のヒントをもらう体験
③ 自分と違う考え方の人に視野と価値観を広げてもらう体験

これを体験できる場所作りをしますよっていうコンセプト。


で、メンバーとしてプロフィールを掲載することになるのだけど、
改めて私が経験してきた「もや」はどんなものだったかなと考える。


他のメンバーのプロフィール画像がナチュラル寄りなのに、
私ときたらキメ顔のドヤ顏の宣材写真しかない。

もやなんてあるわけないでしょ!ぐらいの圧倒的威圧感。

もや・・・かぁ。。。
Googleドキュメントを開いてみるけど、
全然進まない。


自分ごとじゃないけど、忘れられない患者さんがいる。
もうずいぶんと昔に、私がいた病棟に入院してきた、30代前半の美しい女性。
やり手のキャリアウーマンで物腰が柔らかく、
病室に行って世間話をするのが私の楽しみでもあった。
自分とは違う業界で働く女性との会話はいつだってワクワクするものだった。

そのひとの疾患の診断名は、スキルス性胃癌。
胃の不快感を感じて受診した時には、すでにステージが進んだ状態だった。
家族の強い希望で、本人には良性の腫瘍だと説明された。

どんな治療も処置も、
「私、食べることが大好きだから頑張るー!」と笑顔でいた。

でも、外出許可を取ってカフェでコーヒーを飲んで戻ってきた後、
激しい嘔吐をした。すごく落ち込んでいた。
それから外出が怖くなって、部屋で本を読んで過ごしていることが多くなった。

残された時間は少ないのに、私が彼女にしてあげられることはない。
そんな感情も、あれも「もや」だったのかも。
医療従事者は患者を助けるという、若干上から目線の意識もあったのかもしれない。自分の無力さを痛感する。

当時の私は、趣味でゴスペル教室に通っていた。
クリスマスが近かったあの頃の課題曲がうまく歌えず、その話を彼女の前でした。
そうしたら彼女、

「一緒に練習しようよ!」と言ってくれた。

それから彼女の受け持ちじゃない日も、他の患者さんの処置や記録が終わってから、彼女の部屋に楽譜を持って行って、ふたりで歌を歌った。

ちょっと狭めの個室で、
音響も何もなくて声が全く響かないんだけど、
それがまたなんというか、、、いい感じだった。

ずいぶん後で師長にこう言われた。
「あの時、お部屋にあなたを呼びに行ったんだけどね。
ふたりの歌声が聞こえてきて、ドアを開けずにステーションに戻ったの。
きっとこのままがいいんだろうなと思って。」

それからほどなくして、彼女の容態は急激に悪くなっていった。
県外に住むご家族が、病室が狭く感じるほどたくさんの民間療法のグッズを持参して駆けつけた。

今みたいにインターネットで簡単に情報が取れる時代じゃなかったから、
「そんな怪しいもの、やめときなよ」なんていう口コミも目にすることがなかったし、そうしたことは珍しくなかった。

彼女も、みんなが心配してくれていることや、早く良くなりたい一心で使い続けた。

でも、効果がなかった。

家族が、自分たちの近くで休養してもらいたいという希望もあり、彼女は故郷の病院に転院した。

その2週間後、お亡くなりになったとご家族から連絡が入った。


なんでこのことが急に頭に浮かんだんだろう。
もやもやって、多分、この先も形を変えて自分の人生に出現するだろうし、
無くす努力よりも、うまく付き合おうよ
くらいのスタンスがいいのかなって思ってる。

自分が生きていられる時間は限りがあって、
終わりがいつになるかは予測できない。

すごく先の未来を想像するとワクワクするけど、
ちょっと先の未来を気楽に生きていられたらいいな。
それくらいのゆるい気持ちで「もや」と付き合うのが今の私にあってるかな。

私には私の「もや」との付き合い方があるし、

ひとにはひとの「もや」との付き合い方がある。

多分ね、彼女が退院した日が、
今日みたいな日だったから。
だからふと、思い出したんだと思う。


朝から雨が降っていて、すごく寒くて。
駆けつけた家族がとっても温かくて。
その時の彼女の安心した顔をずっと覚えていて。

誰かと一緒にいるって、
それだけで生きる力が湧いてくるんだな。

誰かのことを見ていて、もやが薄れていくことってあると思う。

だからきっと、「もや」を共有することって
自分にとっても生きやすくなる気がする。


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