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他人軸の選択を重ね、他人の人生を生きるのか。自分軸の選択で生きるのか。

SHEのえりさんのnoteをキッカケに「自分にとって大切なこと」はなんだろうと考え始めた。

働くことの意味やキャリアについて、とことん考える社会人人生を送ってきた。今でこそ「ありたい自分」から逆算した人生を送っているけど、実は今とは全く違う自分だった。まさに、他人の人生を生きる典型のような人だった。何をキッカケにどう変わったのかについて記そうと思う。

相手が求める自分になるのが大切だという呪縛

「相手が求める自分になる」ことが大切。正しいと思って生きてきた。
親のいう通りにする。怒られないようにする。ちゃんとする。
(ちゃんとするってなんだ?と今となっては思う)

親にあまり褒められた記憶はないけど、1つ印象に残っていることがある。
夜にポピーで勉強してたら、めっちゃ褒められた。母にかけられた「えらいねーー!」の言葉にはとても気持ちがこもってて、すごく嬉しかった。やりすぎて次の日高熱をだして学校を休んだけど、「勉強をがんばったら喜んでもらえる」と実感した。

テストの点数や通知表はわかりやすい指標になる。何をすれば喜んでもらえるのか曖昧で不安なまま過ごすより、勉強を頑張ろうと思った。

要領がいい方ではないので、山を張らずにとにかく隅々までやる方式。緑の暗記ペンで大切そうなところを潰していったら「これも大切かも?」とどんどん増えていく。テスト直前になると、接続詞や助詞、助動詞以外は全て塗り潰されるなんてザラだった。

誰かに「1番になれ」「良い成績をとれ」と言われてきたわけではなく、自分で自分に課したノルマだった。良い成績をとれば褒められる。それ以外に褒められる方法がわからないし、良い成績をとれない自分に価値はないと思ってた。

越えられないものに出会うことで湧き上がる安堵

最初の転機は高校に入ってから。
偏差値75超の進学校に入学したけど、頭が良いわけではない私は全く通用しなかった。入学前の学力テストで400名中300番台を叩き出した。中学校で5番以内にしかなったことなかったのに、だ。

この時わたしに湧き上がった感情は「安堵」だ。
もう1番にならなくていい!すごくホッとした。笑いさえこみ上げてきた。
うれしかった。

自分で自分を縛ってただけだったんだけど、この高校であれば1番なんて到底無理だし、なんかいいぞ!と思えた。

高校生活は、楽しかった。
二重跳びで縄を渡されたり、50mプールで課せられたタイムをクリアするまで延々補講があったり、冬に河川敷を延々はしらされたり…なかなかエキセントリックな高校だったけど、楽しかった記憶しかない。
ようやく自分の居場所がみつかった。そんな感覚だった。

大学受験で再び元の自分に戻る

それでも3年間で変われたわけではなかった。
何かを選択する時の軸は"自分"ではなく「相手が求める自分ならどんな選択をすべきか?」のままだった。選択する軸がおかしいことに当時は気づけなかった。

やりたいことはベースにしながらも、親が喜ぶ選択をしなければならないと思い込んでいた。
私立はダメ、留年はダメといわれ、国公立一本勝負。しかも家から通える範囲の国公立大学。私立は1校も受けなかった。

見かねた兄に「真に受けるな。私立も受けとけ。そこしか受からなかったらきっと行かせてもらえる」と言われたけど、そうしなかった。「決められたルールに則って勝たないと意味がない」と思い込んでいたからだ。

前期は神大に落ちた。後期で阪大に受かった。
よかった…。喜ぶ母を見て安堵した。
役割を果たせたような、そんな気持ちだった。

今の自分でいいという気づき

キッカケは、大学で出会った彼(現在の夫)との出会いだった。
どんな時もわたしを肯定してくれる人で、「美保が正しい」「それでいいんだよ」「何も悪いことないよ」「もっと自由にしていいんだよ」と繰り返し声をかけて、凝り固まった心をほぐしてくれた。
私にできないことがあっても否定せず補ってくれて、「出来ないことは悪いことではない」と安心させてくれた。

良い成績をとったり頑張らなくても、「存在するだけで価値がある」と思えた大きなキッカケだ。

他人軸での「こうあるべき」病は苦しい

出産後も仕事を続けることに対し、勝手に引目を感じていた。母親は専業主婦で、家を支えてきた人。母親の存在から、母とはこうあるべきと勝手に思い込んでいたからだ。

それはもう、たくさんの感情と葛藤した。

- 母親なのに、小さな子どもを保育園に預けていいのか
- そこまでして働くのは自分のエゴなんじゃないか
- 仕事を続けさせてもらっているので、自分の時間をもってはいけないのではないか

実際、親や当時の上司に「結婚して子どももいるのに、どうしてそこまでして働くのか?」と言われたことがある。会社の先輩に「結婚してるんだし、そこまでする意味あるの?」と言われたことも。

夫は「いつでも好きに選択していい。美保が決めていい」といつも言ってくれる。「辞めたいなら辞めたらいいし、やりたいなら続ければいいんだよ」

いつだって「自分軸で選択すること」を強く推してくれた。それでもまだ「他人軸(常識や当たり前)」を切り離せなかった。

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ママが笑顔でいるのが1番

「自分が楽しいと思うことを追求するのは我儘ではない」と心底気づけたのは、ある一言がキッカケだ。
仕事も家のことも全て完璧にしないといけない。女性で子持ちという社会におけるハンデを補う努力をし続けないといけない。
私は常に何かに追われて難しい顔をしていたと思う。

ある日「あははは」と笑ったら、子どもたちも大笑いした。
夫が「ほら。子どもたち嬉しそうだよ。美保が笑ってるのが嬉しいんだよ。美保が笑顔でいるのが1番なんだよ」と言った。

この瞬間だったとはっきり言える。思い出すと今でも泣ける。

他人軸の選択は責任放棄

自分軸で選択しないと他責の心が生まれる。それは誰も幸せにならない。
自分で責任を負いたくないだけ。逃げなんだと今なら思う。


それでも、不安に襲われることがある。他人軸が混じる時だ。
今では子どもたちが「大切なこと」を教えてくれる。

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自分らしさは育てるもの

起こったことは変えられなくても、その先の行動は自分で決められる。
自分軸で決めた行動であることが大事。

評価は他人がするものなので、切り離すのは難しい。でも、自分らしさは他人がつくるものではなく、自分で育てるもの。他人に自分の存在価値までジャッジされることはない。

まずは自分が自分を認める。自分が好きな自分でいられる人や、コトを見つける。それは決して我儘なことではない。

自分自身が心身ともに健康で、笑っていられることが大切。
そうすれば、周りを幸せにできる。
今はそう信じている。

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🕊Twitter : @MihoMorikazu
🎙Voicy:組織とキャリアと私とボイシー

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