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私の人生              ~自閉症の妹と過ごす中で。Part1~

noteはじめて書いてみます。みほです。
何から書こう!?と思ったのが正直なところなのですが、とりあえず書こうと思った理由から綴ってみることにします。
(きれいに書くというよりかは、初回の今回は表現してみるってかんじかな)


noteを書こうと思った理由

 突然ですが、私は今、LDS(LIFE DESIGN SCHOOL)という自分の生き方や働き方にむきあって未来を考えるというプログラムに参加しています。そしてnoteを書こうと思った理由とLDSに参加しようと思った理由が重なる部分が少しあるなって感じているので、まずはそこの話をシェアしますね。😉

LDSに参加しようと思った理由
 ・オープンに生きたい
(自分で抱え込んで仕事もプライベートも苦労する面が多かったなって思いからそういうところ変えていきたいなって感じていた)
 ・自分のよさをもっと見つけたい・気づきたい
ざっというとこんな感じです。
そして、LDSで自分の痛みと向き合って心に問いかけて1つの願いとして出てきたのは、障害者支援、障害をもった人の兄弟姉妹の支援をしたいということでした。特に後者は強い思いをもっていました。そこには、私自身のバックボーンが影響しています。                         
 私は両親、3つ下の妹との4人家族で育ってきましたが、妹には障害があります。診断名としては、広汎性発達障害自閉傾向って感じで、知能・運動機能・日常生活動作など凸凹はあるもののおおむね2歳半程度の発達レベルです。
 (写真📷、右側が妹です。私も妹も(母も)ゆずが好きでライブに行った時の写真で大好きな妹が目を輝かせているときの思い出の写真です。)   そういった環境で育ってきたからこそ、障害をもった兄弟姉妹の支援をしたいという思いが強くありました。

支援といったらおこがましいような気もするけれど、姉としてすごしてきて、喜びも悲しみも苦しみも妹がいなかったら気づけなかった、感じなかったことでたくさん味わってきたけど、私自身がほかの人のコラムとかを読んですくわれたって経験があるように、同じ境遇の人の力になりたいなと。(同じ境遇の人でなくとも力になれるとしたらそれはそれでhappyだなと)  もちろん、こういう情報とかにたどりつけるひとって一部だと思うし、受容できてる部分があったりとかが大きいと思うけど、なんていうかマイノリティだと感じる人でも生きやすい世の中になっていったらいいよねって思っています。あとは、悩んでるよって人にみてもらえたらいいかなって。(そういう人にこそ届いてほしいな~)生きやすいと思える人を増やすみたいなところが1つのVISIONなのかなと自分ではとらえています。

さて、話が行ったり来たりしますが、実はLDSに通う前から上記のような経緯で障害をもった兄弟姉妹のこと支援したいなということは思いとしては持っていました。過去にむきあうという機会は25年間いきてきてなかったわけではないし、私自身も思いがあることに気が付いてはいました。でもなかなか、表に出すのはこわかったんだよな~と。               じゃあ、あらためて、なぜ今、発信しようとおもったのか。そう、それはみほは、伝えるのが上手、あついものもってるよねと複数の人に言ってもらえたのが1つ大きかったなって思っています。あと、願いと恐れはセットであるもので、仲間の経験とあわせて強い願いこそ不安や恐れ・葛藤があるという話をきいたのが大きかったかな。そこから、伝える力がせっかくあるのに、私だからこそ伝えられることがあるはずなのに、自分の心の中でとどめておく、ひめておくのってもったいないよねと感じて、noteをかいて発信してみるというアクションに至りました。

さて、ここまでもそれなりに長い文章になってしまったんですが、過去の経験や学習によって人生が形作られていくということを実感していたりもするので、まずは私の人生について言葉をつむいでみようと思います。     (一旦、自分の中でも整理してみてかなりの量になるなと実感したので、今回は幼・小時代①をかきます。また、今後書いていくうちに思い出すこともあるだろうけど、その時はまた書きます。)  


幼稚園・小学生時代に感じていたこと①    

 妹の障害がわかったのは、おそらく3歳児検診のころ。
(もしかしたら、1歳半検診の時に疑いありみたいな段階はあったかも)
そのころ、私は幼稚園生・小学校低学年だった時である。

ィ)・家では母が泣いていたり、暗い顔をしてる毎日
  のちのち聞いたはなしとも掛け合わせると、周囲に相談できず、妹に障害があるという事実をしった(私から見た)祖母から罵倒されていたとか、父も母によりそうという感じではなく、母も孤独だった様子。妹のことを受けいれられず、発達の遅れとかを実感している時期でもあった??

  ・自分のことをせめ、記憶が定かではないが生きている意味がわからないという発言もきかれていた。
(私は幼き頃で理解はしていなかったかもだけど、ねえ、きいてという感じでただただ話を聞く役みたいなのをある種人形的に!?やっていたような気がする。(記憶がある))……よくも悪くもきき上手みたいなところはこういうところから育っているのかもしれない。

幼き頃の思いと現在の解釈が少し混在するが、
 人がこんなに悲しい顔をするんだというかあの時の表情を鮮明に覚えている自分がいる。母をこれ以上悲しませちゃいけない、自分が勇気づけなきゃみたいなのをすごく感じていた。(今の困っている人を助けたいという思いはこういうところからきてるのかな。)自分がつらくても隠すのがいいことだと思う感覚があった。そして、迷惑かけちゃいけない、長女というのもあるけど自分が人一倍しっかりしなきゃって思って行動していた。だからこそ、できないということはそれこそ迷惑をかけることだと思っていてタブーだと感じていた。(今の思考ともちかいものを感じるが、つらかった)


ロ)・上記のイ)から少し時間がたち、母がとにかく障害について調べている時期があった。
 (今思えば、とにかく不安を解消したくてみたいな部分は大きかったと思う)
 
 幼き当時に何を思っていたか。
 今、調べたりしてるんだからこっちこないで、話しかけないでというような場面もあり、戸惑い・どうしていいかわからなかった。迷惑かけちゃいけない思考から、自分は静かにしてよう、そうしたらいい子なんだっておもっていた。まるで、腫れ物にふれるかのようにそのことにはふれちゃいけない雰囲気をかんじとっていた。妹がティッシュだして遊んでたりしてて、他にもこだわり行動とかしてて(当時はそもそも特性わかってなくて、こだわりとはとらえてなかったと思うし、母はいずれなおるとも思っていただろうけれども)かまってもらえてるのうらやましくも思っていた。自分のことはみてくれないという感覚もあった。自分のことみてもらえたという感覚の時はわりと怒られる時で結局、自分は迷惑かけてる、この世に必要な存在なのか!?とあとづけもあるだろうけれど、考えていることもあったな。


うまくまとまらないけれど、かまってほしかったんだなっていうのがストレートに今感じていること。のちのち書く、小学生以降の経験とも結びつくけど、とりあえずそんな感じかな~。渦中にあると必死でそこまで手がまわらいというのはあると思うけど、やっぱり自分のこともみてほしかったなと。

今日は一旦ここまでかな。読んでくれてありがとうございました。🙏😙


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