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この愛しき世界で。

両親をお見送りにきたヘルシンキ空港の帰り道。
別れ際、母が「これからもくれぐれも気をつけてね」と泣き出すので私も涙が止まらなくなってしまった。

親孝行のつもりで「二人を北欧に招待する!」と言いながら、両親の愛にどっぷり甘えさせてもらった幸せな2週間だった。

そもそもなぜ北欧?というと、夫と共にこの6月から1年間の世界一周に出かける前、両親に「世界のどこか一緒に旅できるとしたらどこがいい?」と聞いたら、父が「フィヨルド!」と即答したから。

それでずっと、北欧のタイミングで招待しようと思っていたものの、この旅のどのタイミングで北欧に行き着くかなかなか見えなくて、結局母に、「この辺りの日程から北欧に入るけど、来られる?」と連絡できたのは、その10日前。

「急すぎ〜!同級生たち(両親は高校の同級生)と秩父に旅行に行く予定があるし、パパは仕事もある」と言う母に、遅すぎたかと反省した翌日、「やっぱり難しいよね?」と連絡してみると、「行く!秩父は前半で切り上げてそのまま空港向かうことにして、パパは有給とった!」と即答。
「最大9月23日から、10月6日の出勤に間に合うまで行ける!」とのことで、その場で日程が決まった。
すぐに航空券を調べたら、たまたまカタール航空がその日までセールをしていて、ドーハ乗り換えのエコノミーで我慢してもらうことにして、「東京—オスロ(ノルウェー)」、「ヘルシンキ(フィンランド)—東京」の往復を一人につき約10万円でゲット!

その3日後には、「荷造り終わった!遠足前みたいにドキドキしてる!」と連絡がきて、出発までまだ1週間くらいあるよ?と笑ってしまった。

そしてここで、父が「北欧に行くならオーロラも見に行こうよ」と簡単に言い出した。
「フィヨルド以外にも行きたいところを教えてね」と伝えていた母からは、無邪気に「調べた!」と北欧に行くのは初めての私には聞いたことのない場所もたくさん載ったリストが送られてきた。

さすが、私の両親。
私の欲張りは直々の親譲りだったんだね。。

さぁ、どうやって巡ろう。
特に、フィヨルドとオーロラ。

旅を始めて、「絶景の感動は、お天気次第で2倍にも半分にもなる」と散々感じてきた私は、その2つを最善のコンディションのもとで見せてあげたかった(し、見たかった)。

そうして天気予報を調べて、愕然。

フィヨルドのあるフロムも、オーロラの名所だというノルウェーのトロムソもフィンランドのラップランドも、ずーっと雨マーク。
北欧のこの時期は、めちゃくちゃ晴天率が低いこともわかった。

なので、私たち夫婦の世界一周がそうであるように、ガチガチに行程は決めず、お天気と相談しながら行く場所や順番を調整する旅にすることにした。

そうして二人はオスロから私たち夫婦の世界一周の旅に合流。
二人がオスロに着いた時にはその日の宿しかとっていなかったのだけど、二人は私たちがスイスで宿にありつけずに野宿をしたというFacebookでの投稿を見て「屋根の下で寝られさえしたらいい」と覚悟してきたとのこと。

さすが、私の両親。
根性、座ってる。。

ムンクが通ったというオスロで一番歴史あるレストラン、コスパ良くて美味しかった!

4人でオスロを満喫した後は、フィヨルド観光に行き、ベルゲンから一時帰国する夫を見送ってからは、3人でスウェーデンのストックホルムに飛び、1泊2日のフェリーでヘルシンキにきて、日帰りでエストニアのタリンに行き、ヘルシンキに戻ってきたそのまま寝台列車でロヴァニエミへオーロラを見に行って翌日ヘルシンキに戻ってきて、その翌日の今日、両親は無事日本への帰路に着いた。

フィヨルドは、二人がオスロに着いた時から天気予報はよくなかったものの、夫の一時帰国も迫る中4人で行きたかったので、フィヨルドを見てベルゲンに一日で抜けられるコースを、フィヨルドに近いフロムで一泊して2日間フィヨルドに行けるようにしてリスク分散。
初日は展望台から、2日目は観光船からフィヨルド観光する作戦をたてた結果、フィヨルドを見に行った時間は両方晴れた!!

特に、水辺が鏡のように反映したフィヨルドは一生忘れない。

一方オーロラは、ノルウェーのトロムソはその期間は雨や嵐マークで全くダメそうだったので行くのを見送り、フィンランドに期待をかけた。

スウェーデンのストックホルムは、街自体を大満喫。
父は市庁舎が、母はガムスタラが、私は図書館がお気に入りになった。

そして、フィンランド。
ヘルシンキを拠点にしながら、オーロラが見られる可能性があるタイミングがきたら北上すると決めたのだけど、とてもじゃないけど難しいお天気が続き、私調査の総合的な結果、次にオーロラが見えそうなのは両親が帰国する4日の夜(つまりこれを書いている今夜)になりそう。
オーロラエリアの空がどんよりで可能性が限りなくゼロの場合は行くのはやめようと父がいい、私のFacebookの投稿へのオススメコメントを見てオーロラのチャレンジができなかったら行きたいと母が言ったエストニアのタリンに(夫と後に行く予定がありながらも)日帰りで行ってもきた。
タリンの旧市街はとても可愛くて、本当に行ってよかった。

そしてタリンからヘルシンキに戻ってきたその夜、どうやら明日も曇り時々雨だけれど、夜から雲率0%になっている!一夜漬けで勉強したオーロラのKP予測も3なら絶対に無理ではないかも?北上するには最後のチャンス!と、寝台列車に乗り込んだ(国内線の飛行機もあったのだけど、直前過ぎて1人片道4万もして予算オーバー、ごめんなさい)。

さすがにもう数年前に還暦を過ぎた両親にこんな行き当たりばったりな弾丸旅行をさせて大丈夫かな?と心配になっていたら、母は、その寝台列車の2段ベッドの狭い上段に私と二人で寝転びながら「意外と快適〜」と爆睡していて、父の体には確実に狭い下段のベッドからもスヤスヤ寝息が聞こえて、頼もしかった。

本当はもっともっと北上した方が可能性は上がると分かりながら、体力も考慮して寝台列車が泊まるロヴァニエミから行きやすい北極圏の中ギリギリで寒い思いをせずに部屋から空が見えるグラスラグーのキャビンを直前予約。
チェックインした時には雲が空を覆っていて、もう祈るしかなかった。

でも、ロヴァニエミの市内にご飯を食べに行った19時ごろには予報通り雲はどんどんいなくなり、宿に戻っていよいよ暗くなった頃から私はダウンロードしまくったオーロラ予報と空を交互に見ながらドキドキソワソワ。

なのに、肝心の両親は、その横で、なんと23時頃に揃って爆睡し始めた!
確かに、二人にとってこの旅一番いいベッドなのは間違いないもんね笑

結局その夜、オーロラが見える可能があるとアラートしてくれるアプリが鳴ることはなかったけれど、予報をずっと見ていると午前3時頃にオーロラのKPがその日最大になることがわかり、2時半頃に二人を起こしたら、母の第一声が「あれ?ウトウトしてた?」でびっくり。
ウトウトどころか、かなり長時間スヤスヤ爆睡していたよ?

でも、目を覚ました二人は私より早いスピードで防寒して率先して外へ。
そうして、キャビン軍からも少し離れた明かりのない場所で、待つこと一時間。
オーロラは見えなかったけど、満点の星空がプラネタリウムみたいで、これだけで十分だねと話して、とてもいい時間だった。

そして、マイナス3度の中で寒いからそろそろキャビンに戻ろうか、この満点の星空を撮って戻ろう、と父がデジカメで星空を撮影したところ…

あれ??ポンポンのついたニット帽をかぶった私の右上の空に、うっすら緑の光が映ってない??

あーーー!!
緑の帯が、見えるーーー!!

な、な、泣ける。。

そこからは寒さなんて忘れて、もう夢中。

そして、せっかくなら記録に残したい。
でも、私はオーロラも撮れるといわれたミラーレス一眼とレンズを買ってきたのに、不覚なことに撮影の技術とリサーチ不足でどう設定をいじっても何にも映らない。
しかも、重い三脚も持ってきたのに、なぜか肝心のカメラと接続する部分のお皿が見つからない(後に、ヘルシンキのホテルに預けて置いてきたスーツケースの中から発見)。

もう撮影は諦めようとしたところに、今度はキャビンの方からいいカメラを持って歩いてくる男性が一人。
自らのカメラで一通り撮り終わるのを見守ってから、「撮れました?私、撮れないんです…」と近寄って行ったら、「なんとオーロラ向きのレンズ!これは撮れますよ!」と親切にカメラを設定してくれて、ミニ三脚までお貸しくださり。
その方が私のカメラを触るのを見て、ピントを合わせるにはレンズを回せばいいのだという初歩的なことを学べたのも、大収穫(このレンズはピントが合わないから壊れているのかなぁと思ってた)。

そのおかげで。

下の父がデジカメで試行錯誤しながら撮った写真も、絵みたいで素敵。

デジカメでもここまで撮れるということと、写真素人の父の頑張りに感動した。

それから両親を先にキャビンに戻してから少し残って撮影をして、戻ったら二人が幸せそうにビールをあけて乾杯していて、もう、なんて達成感なの…!!

そして、感動か寒さが混ざった震えが止まらなくて眠れない私の横で再び一瞬で爆睡し始める二人。

さすが、私の両親。
私のどこでも眠れる術も、親譲りだったんだね。。

二人の寝顔を見ながら愛しさが増す、そんな夜だった。

ちなみに、ロヴァニエミは、せっかくサンタさんの住む場所に来たのだからと訪れたサンタ村もすごく素敵で、こんな大人が3人して公式サンタさんに会った瞬間に大興奮、即買いしてしまった記念写真も宝物になった。

そして、ヘルシンキに戻ってきて、今日はairbnbでお得に予約できた素敵な部屋についているサウナに仲良く3人で入り、またほっこり。
最後のお土産のお買い物をして、空港にお見送りへ。

どっぷり2週間一緒にいてお別れするのは、何度ハグしても足りないくらい、寂しくて、冒頭の、母が泣いたので、私も涙が止まらなくなってしまった。

ところで。
日本では、こんな本が発売になったばかり。

「人生は、いま、変えろ。」
超お気に入りのフレーズ。

「人生を、最近、変えた。」ばかりの枠としてかな、かなり下駄を履かせていただいて、名だたる方々のラインナップの中に、私がいる。

7つの習慣 鈴木美穂ver.
https://www.amazon.co.jp/dp/4863940858/

そして、ここで書きたかったのは、宣伝ではなくて(でも、買ってもらえたらすごく嬉しいです)、帯に『「最後かもしれない」と思うと、この世界が愛おしくなる』とあるけれど、本当に本当に、そう強く思う日々だということ。

世界一周を始めて4ヶ月。
「再び訪れたいお気に入りの場所」リストは世界中に増え続け、でも、本当にまた全ての場所に行けるかは分からない。
いつも、「最後かもしれない」と、その情景を全身で感じ、目に焼き付けている。

そして、命が一番大事、安全に万全を期しているつもりだけど、世界を旅するのにリスクがないなんて思っていないし、いつどうなるか分からないという気持ちがないわけでもない。
そもそも、11年前にがんになってからずっと、その気持ちをどこかで抱えているし、当たり前にまた会えると思っていた大切な友達と、もう二度と会えなくなるという悲しい経験も何度か繰り返してきた。

今日も両親をお見送りしながら、「もしそうなったら」と考えた。
絶対に嫌だけど、誰にだって、いつ、何があるか、分からない。

でも、「気をつけてね」と何度も抱きしめてくれる両親を、絶対に絶対に悲しませてはいけない、絶対に絶対に、元気に帰国しないといけない、と誓って、涙ボロボロ、バスに乗ってairbnbに一人戻ってきた。

超寂しい。
昔からの夢だったとはいえ、1年間の世界一周中、私は一時帰国しないと決めたことを悔やむくらい、寂しい。
寂し過ぎて、ひとりサウナに入りながら、母が日本から持ってきてくれた焼きかまぼこを噛み締めながら、このとてつもなく長い文章を書いてしまった。

その最中に、登録してから初めてのオーロラアラートがきたよ、予報通り、やっぱり4日だ。
2日に見られたのは、奇跡だったのかもしれない。

でも、もうすぐ夫が一時帰国先の東京から世界一周に戻ってくる!!
ベルゲンで別れてヘルシンキで会うなんてなんてロマンチック!ドラマみたい!なのだけど、実は、結婚後、10日間も離れているなんて初めてで、ベルゲンでお見送りした時も、寂し過ぎて、泣いた。

夫は、3年前に仲間と立ち上げたONE JAPANという団体の大きなカンファレンスのために一時帰国したのだけど、帰国中、そのほかにも7回も講演を受け、大切な友人知人との再会も果たし、毎日誰かのFacebookの投稿にタグ付けられて出てきて、夫からの連絡以上に行動の詳細がよく分かった。

本当に本当に、お疲れさま。

日本でたくさんの人に囲まれた笑顔の写真を見まくり、「世界の旅に戻るより、日本でやることがたくさんあるから」と気づいて私の元に戻ってきてくれないかもしれないと心配していたけど、無事飛行機に乗り込んでくれたとのことで一安心(笑)。

これから残り7カ月、二人で、時々家族や大切な人たちと合流しながら、世界中を旅できること、旅が終わった後にもたくさんの楽しみが待っていることが、どれだけありがたくて幸せなことか。

今は絶賛ほぼ無職で世界一周中の身で両親に豪華な旅をさせてあげられるほどの余裕はないけれど、今より大切なものが何かがはっきり見えていることはなく、今より今を楽しみ未来をワクワク想像している日々もなく、仕事一筋で収入も超安定していた頃よりもずっと満たされている。
世界の街角を見ていても、自分の大切なことを大切にできている人は、お金があるとかないとか、何を持っているとかいないとかに関係なく、豊かだなぁと思う。
資本主義の世界が、次の時代に突入しようとしているのをひしひしと感じる。

ちなみに、両親を見送った直後に書き出した文章を夜中に書き終えるのは諦めて、今は一夜明けて、ヘルシンキを両親と散歩している時に見つけた大好きな場所にきて続きを書いている。

ここは、「Oodi」と名付けられた、ヘルシンキ中央図書館。

ストックホルム市立図書館がすごく素敵で、ヘルシンキはどうだろう?とふと思って来てみたら、何ここ、斬新な外観の中、愛を持ってすべてを包み込む雰囲気を持っている。
赤ちゃんから高齢者までこんなに自然に集う公共施設見たことない。
感動して心は震えるし、好みすぎて鼻からは血が出るかと思った。

なんなら、こんな施設を作りたい、と思った。

だから、今日は実際に利用者になりにきてみた。
やっぱりすごい包容力で、この後夫を空港まで迎えに行った後、3回目は夫と共に来ようと思っている。

ヘルシンキのあとの日程は何も決まっていないから、ここでどこに行くかを決めるワクワクなミーティングがしたい。
世界中で得たヒントの洗い出しや、アイディアのブレストもいい。

両親との夢のような弾丸2週間の旅を終え、これからしばらくは夫と暮らすように旅ができたらいいなと思っている。

「最後かもしれない」と思うと、この世界が愛おしくなる。
そう書いたけど、最後じゃなくても、この世界は十二分に愛おしい。

愛する人と、愛する場所で、愛する世界のためにできることを考える。
今の私にとって、これ以上幸せなことはないかもしれない。

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