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不妊治療からの妊娠、そして。

光と陰をつなぐひとー漢方アロマセラピストのmihoです。
自己紹介の続きです。
ここから、特に私の今の生き方に
大きな影響を与えた出来事が起こります。

経歴② 不妊治療からの妊娠、そして。

37歳の誕生日から始めた不妊治療。

タイミング、人工授精、体外受精…と順調に?
ステップアップしましたが
それでも結果につながらず。。。

妊活にいいと言われることはなんでもやり。
よくないと言われることは我慢して。

それでも
毎月基礎体温が下がって生理が来るたびに涙を流していました。

フルタイム・正社員で働きながらの治療は
精神的にも身体的にも大きな負担でした。

みんなが普通にできていることができない

欠落感や罪悪感を抱えながらも、
仕事を辞めたくても辞められず
(今思うと)ガッチガチの心と身体
治療を続けていました。

度重なる着床失敗、化学流産に心も身体も疲弊して
一旦お休みしてリフレッシュしよう!と
それまで我慢していたライブや吉本新喜劇に行ったり
最後の神頼みに出雲大社へお参りに行ったりした後
背水の陣で臨んだ6回目の体外受精で
ようやく、本当にようやく妊娠に成功したのです。

この時、39歳。

これでダメだったらもう諦めよう。

と覚悟をしたところでの妊娠だったので
嬉しくて嬉しくてしかたありませんでした。

…ところが。

念願が叶いようやく授かれた喜びも束の間
天国から地獄へ突き落とされる出来事が起こります。

経歴③ 最愛のわが子とのお別れ。

つわりがひどい以外は特に問題なく、
順調だと言われていた妊娠生活でしたが
32週で突然異常が見つかり
緊急転院からの緊急入院。

入院した日の夜、緊急帝王切開で出産。
急転直下の出来事でした。

仮死状態で生まれた長男はその後蘇生し
NICUで必死に生きようとがんばりましたが
生後10日で短すぎる一生を終えました。

なぜ、この子が?
なぜ、私なの?

自分を責め、他人に怒り、運命を呪いました。
殻に閉じこもり、生きる気力すらなくなり
早く長男のもとに行きたい
とさえ考えていました。
でも、そんな中でも

もう一度我が子を抱きたい

という想いは、長男を亡くした直後から胸の中にあり
深い闇の中でかすかな光を放っていました。

経歴④ 長男が教えてくれたこと。

殻に閉じこもっていた時にしていたこと
半年後に参加したおはなし会
そうしたグリーフワークが少しずつ哀しみを癒し
前に進む力をくれました。

もう一つ、前に進む力をくれたのは
長男からのメッセージでした。

たいせいが私のところにきた意味は?

彼は、その短すぎる一生で何を私に伝えたかったのか?

ずっと自問自答を繰り返してきた私が
その答に辿り着いたのは
長男と一緒に行くはずだったハワイの大自然の中でした。

私の人生はもう終わった。
もう心から笑うこともないだろうけど
たいせいの分を生きていけばいい。

と思っていた当時の私。
すべての風景が色を失っていた中で見た
今までに見たこともない、
言葉には言い表せないほど美しい夕陽を眺めていたら
思わずぽろぽろと涙が出てきて

「自分を大切にして自分の人生を生き切ってね」

「ママが笑って自分の人生を生きることが
僕も嬉しいんだよ」

と、長男に言われた気がしたのです。

じゃあ、どうする…?

自分の人生を生き切るために。

私が心から笑える人生を送るためにはどうすればいい?

私がまずしたことは

自分の心と身体をととのえることでした。

心と身体がととのうと
今まで見えていなかったものが見えるようになり、
見えていたものも、
また違った面で捉えられるようになってきます。

同じ事柄でも見方、捉え方によって
まったく違う意味を持ち
自分は変わっていなくても
今のままでしあわせな存在だった
ということに気づいたのです。

ごはんを美味しく食べること。
呼吸をすること。
自然の美しさや季節の移り変わりを感じること。

そんな当たり前のことがいかにできていなかったか…
自分の心と身体のサインをいかに無視してきたか。
今まで他人の目や評価ばかり氣にして本心を出せず
「完全自分迷子」で生きづらさを感じていた私が、
徐々に本来の自分を取り戻していきました。

必死で握りしめていたものを手放し、
ゆるみ、満たされたら
心も身体も健康になっていきました。

▶︎次に続きます。

*長男がお腹に宿ってお空に還るまでのことは
今後ゆっくりと書いていけたらいいなと思っています。

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