成長の楽しさ

19歳の僕がこの約5年間を少しだけ振り返ってみようと思う。

今の自分が思うことを今の自分なりに書いてみたい。

10年後にはこの価値観や考え方は変わっているだろう。

今の自分はまだ、社会にも出ていなくて、多くの人に会い、多くの経験をしてきたわけでもないから、まだまだ考えが浅く、未熟だと思う。

そんな中で、就職活動という人生の大きな転換点を終え、20歳を迎えるこのタイミングで、僕の思いを僕なりに記録したいと思う。

僕は今、短期大学に通い約1年と3カ月が経とうとしている。この1年3カ月、僕はある、たった一つの目標に向かって、この目標を実現させることだけに集中して行動をしてきた。その目標が「大手企業に就職する」ということだ。この目標が、「簡単」だと思う人、「短大では厳しいんじゃない?」って思う人、「何この目標」って思うひと、いろんな人がいると思う。でも、僕は、どうしても大手に行きたかった。これほど大手に企業に勤めたい!って言っているのに実は理由はそれほど大した理由ではない。その理由はただ「兄弟、従妹、祖父、親戚」僕の周りには世間一般では日本を代表する大手企業と呼ばれる企業に勤めている人が多くいたということだけだ。こういった環境で育ち、周りからは「大手企業に就職するんやで」と言われ、その言葉に流されたのだw。その中で僕は絶対に大手に就職しなければならないと、高校1年生あたりで思い始め、進学先を探し始めた。

進学先を決めるのはとても速かった。自分の中で条件が決まっていた。その条件は「短期大学、専門の二年制」、「就職先実績が良い」、「関西」、
「教授と学校の雰囲気」であり、この4つの条件に一番合った大学に行こうと思っていた。これらの条件に当てはまる大学を一年の進路の授業の時にサイトで検索すると、現在の短期大学が出てきた。そこから僕は、この短大に行くと決め高校生活を送った。なので行きたい進路が決まったのは高校1年の時だった。この短期大学の入試では推薦なら面接だけでよかったため、僕は高校3年間(小、中も)勉強というものにほぼ触れることはなかった。そんな勉強もしていな僕だったが、大企業には興味があり、多くの企業を調べ、高校の3年生の時には、「この会社で働きたい」というものが決まっていた。その会社が、後に僕に人生最大の挫折を経験させてくれる会社だ。その会社とは、世界100ヶ国に生産拠点をもち、大阪に本社を持つ、大手空調メーカー「ダイキン工業」だ。短大に入ったら絶対勉強して、ダイキンに就職する!と強く思い、高校を卒業し、僕の短大生活が始まった。

短大では絶対に勉強をすると決めていた僕は、親や兄弟のプレッシャーもあり、以外にも勉強に専念することができた。しかし、僕が勉強に専念できた理由はこれだけではない。それは、コロナによる学校のオンライン化だ。オンライン授業になることで、自分の好きな時間に授業や課題に取り組むことができ、学校に行く時間も省け、家で自分ひとりで計画を立て勉強に取り組むことができた。これは本当に不幸中の幸いだと思う。家で一人の時間が増えた分、僕は毎週の課題をすべて週の初めに終わらせ、残った時間はすべて、資格と英語の勉強、就活の対策に費やすことができた。この期間は、毎日10時間以上は勉強して、休憩の時も、就活や英語の動画を見ていた。すべて「大企業に就職する」という目標の為だ。しかし、勉強に嫌気がさした時もあった。そんなとき僕の勉強へのモチベーション保たせてくれたのはある二人の女性だ。一人は中学校1,2年の時の担任の先生、もう一人はアルバイト先の一つ上の先輩である。この二人の方を思い出すと、なぜか、何もできず、情けない自分が嫌になり勉強に打ち込めた。この2方との出会いは非常に重要な出会いだったんだと思う。

約1年間毎日勉強を続けてきたこともあり、大学での成績はとても良い評定をとることができ、資格も新たに3つ取ることができた。そしてここから、人生の最大の転換点である就職活動が始まる。

就活のはじめは、毎日、就活の動画を見て、企業分析、業界研究をしてきたこともあり、スムーズに進めることができた。そして、僕の第一志望であるダイキン工業の校内選考に通るために、進路支援に行き多くの情報を得て、就活を進めた。この校内選考は、成績もよく、学内でプロジェクト活動などもしていたため、通過することができた。その後は、ダイキンの採用試験に向け、SPIや面接練習などなんども繰り返し行い、会社説明会やオンライン工場見学など、ダイキンが行っていて自分が参加できるすべてのイベントに参加した。そしてついに採用試験の日が来た。ダイキンに入るために約1年かけて準備をしてきたため、あまり緊張することなく試験を受けることができた。試験が終わった後の感想は「まー受かってるだろう」という感じだった。結果は不合格。この結果には僕だけではなく、報告した人すべての人が驚き、多くの人から「嘘やろ?」という言葉を言われた。僕が一番信じられなかった。なぜ落ちたかはほんとにわからなかった。ただ会社からは、「飛びぬけて良いものがなかった」という評価をもらった、とだけ進路支援課長に言われた。この経験は今まであまり挑戦してこなかった僕からしたら、人生最大の挫折となった。

「不合格」という通知を受けてから1週間は立ち直ることができなかった。というかほぼ記憶がない。それほどの衝撃だった。しかし、このまま落ち込んでいても、この一年僕が行ってきた行動が無駄になる。そんなことはしたくない。そこで、ほとんど考えていなかったがもしダイキンに落ちたときにどこを受けるか、考えていた候補がいくつかあった。僕はとても焦っていた。時間がなかった。でも本当に多くの条件を考え、悩んだ。そして、次に受ける企業を一つに絞った。一年かけて準備をしてきたダイキンとは違って、この会社は採用試験まで時間がなく準備期間がほとんどないまま一次面接を受けることになった。ESには800文字の志望理由を書いた(読んでいただけているかわからないが)。そして一次は通過し、そのあとすぐに、SPI、最終面接と続いた。この期間は本当に時間が短く感じた。最終試験が近づくにつれ、「また落ちたらもうどこにも就職できない」と思うほど自分を追い込み、責めていた。そしてついに最終面接の日、オンラインでの面接だった。四人の方にいろんなことを聞かれた。すべてに自分の納得のいく答えはできなかったがそれとなく、最終面接を終えることができた。その約1週間後、あの日と同じように進路支援課に呼び出された。緊張が止まらなかった。そして結果の通知を受けた。「内定やで!」と部屋に入った途端、進路支援課長に言われた。そのとき僕は今までにない喜びとともに、肩の力抜けていった。とても安心した。うれしかった。喜びが爆発した。この結果を今までお世話になった人たち全員に報告した。多くの人に祝福してもらった。

今まで、挑戦、行動、継続とは無縁だった僕の人生において、この挫折経験、そして成功体験は今後生きていく中で大きな力になってくれると思う。そんな経験を学生の間に経験することができて本当に良かったと思う。

今後僕は内定を頂いた大手総合電機メーカーで働くことになる。この会社でどんなことを経験し、どんな人と出会うのわからないがとても楽しみである。

僕はこんな言葉を大切にしている。
「できない理由を探すより、できる理由を探せ。」そしてトヨタの社長である、豊田章男社長はこんなことを言っている。
「静観」ではなく「行動」を、「沈黙」ではなく「発言」を、「説得」ではなく「共感」を、「利己」ではなく「利他」を。
この二つの言葉は僕の心に大きく響き、僕を動かしてくれる。

今後の人生は、何事にもまずは挑戦し、行動して行きたい。その中でも、「利他」であったり、「共感」というものを兼ね備え、余裕のある人間になりたい。






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