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教師になる前の自分にこの3冊を贈る

人に本を薦めるというのは本当に苦手というか難しいと感じます。
誰かのニーズに合う本を紹介するなんて出来ません。

ただ、(過去の)自分に向けて本を薦める事は出来る、という妙案に至り、noteを書いています。

先週、本棚を整理した際に数えてみたら、僕はこれまで1700冊程度の本を読んできたようです。
その中から、教師になる前の自分に贈りたい本を3冊紹介します。

本当は10冊くらい書こうと思いましたが、長くなり過ぎて3冊が限界でした。

2点補足します。
まず、この3冊がベスト3という事ではありません
それと、これらの本を誰かに薦めている訳でもありません。
僕が好きなだけです。

兎の眼

著者である灰谷健次郎さんによる長編小説。
灰谷健次郎さんが好きで、彼の本はほとんど読みました。
その中でもこちらは読みやすいと思い、選びました。

新卒新任の小谷先生と、一言も言葉を発しない鉄三をはじめとするクラスの子ども達、様々な先生や保護者。
数多くの出来事や出逢いを通して、子ども達と共に成長する姿を描いています。

蝿とのやり取りばかりで喋る事のない鉄三から、小谷先生は最初の抵抗を受けます。

ある日、養護学校への入学が決まっているみな子がクラスにやってきます。
クラスの子ども達を巡って、他の先生や保護者からの抵抗も受けます。

小谷先生は何度も困難に直面します。その度に悩み、苦しみますが、それでも懸命に立ち向かい続けます。

「人間が美しくあるために抵抗の精神をわすれてはなりません。」

「人間として生きる事」について考えさせられました。

被抑圧者の教育学

僕が最も多く読み返している本のひとつです。
その理由は、この本が僕にとって大切である事も勿論そうですが、それ以上に難解であるという事です。
ですので、「早いうちに読んでおけ」という思いから選びました。

著者はブラジルの教育実践・思想家であるパウロ・フレイレです。

古い本で、当時の時代背景が大きく反映されていますが、今の時代でもこの本の重要性は変わらないと思います。

彼は、教育において教える者と教えられる者の関係性に注目しています。
権力的な関係性を変え、教師の役割や能力もその関係性の変革というプロセスの中で再定義されるとしています。

伝達、普及という一方的な教育、特に知識や価値を注入し移し入れる預金型教育を批判しています。

それは、抑圧的な社会を反映し、沈黙の文化を生み出し、教育する者とされる者の対立を温存、激化する。
そして抑圧者(教育者)にとって都合のよい世界をつくことになる。
それは真の思考を妨げ、人間を被人間化する。

そうした理由です。

彼が提起するのは、「問題化型教育者(実践)」または「課題提起型教育」と呼ばれるものです。

そして「対話」と「コミュニケーション」に教育の可能性を見出しました。

彼の専門は識字教育ですが、識字とは単に文字を読むことではなく「世界を読む」ことと捉えています。

学校で学ぶ知識は、単なる道具ではなく、世界の見え方、世界と自分の関わり方を変えるものだと僕は思います。

彼が目指すのは、自由と解放の教育学です。

「抑圧されている者だけが、自らを自由に解放することによって、抑圧する側をもまた自由にすることができるのである。」
「抑圧する者でも、抑圧される者でもない、真の意味での自由な人間の誕生である。」

発達の扉(上・下)

著者は白石正久先生です。
個人的に、特別支援学校の先生は是非読んで欲しい一冊です。

今の保育・教育現場において、「子どもの願い」はどのくらい大切にされているでしょうか。

集団づくり、ハウツー、科学的根拠(エビデンス)、そして結果。それらが重視される現代だからこそ、子どもの内面世界を大切にして欲しいと思います。

この本には子ども達の写真が沢山載っています。
子どもの世界が広がっています。
子どもの内面、願いを感じ取る事ができます。

子どもの世界は本当に広くて深いです。
その全てを知る事は僕には到底できませんが、その世界を学び続ける事はできます。

「出来る・出来ない」の二分的評価をしていないか。
やってあげる、先回りする支援になっていないか。
出来る事にこだわる教師になっていないか。
多数派集団に合わせようとしていないか。
そんな事をよく振り返ります。
それらがだめとは思いませんが、振り返って省察する事はとても大切だと思います。

「発達」は誰かにさせてもらうものではありません。
自ら壁を乗り越えていく道程です。

「障害があっても、子どもは主人公として、自らの力で人生をきりひらいていかなければならないのです。」

おわりに

以上、3冊を選びました。
自分でも驚くほど長くなりました。

そして全く意図していませんでしたが、ここまで書いてみて、自身の2つの教育観が分かったような気がします。

ひとつは

「教育は、対話による相互作用である」

もうひとつは

「学ぶ事は、自分の存在する世界を構築する
行為である」

という事です。

どんな障害のある子でも対話する事は出来ます。
どんな障害のある子でも、自分の世界を持っています。
世界を見ています。
世界で生きています。

これからもそんな思いを忘れずにいたいです。