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みはれやÅができるまで②

そんなわけで引き続き
前回はこちら


黄金週間というもの

あっという間に昭和の日が過ぎて
忘れてしまったけれど
昭和の日、っていつからかしら…

自己紹介の途中
この間に決めました
・一ヶ月のうちの10日間くらいは
ジブンのためについやす
カラダに感謝する時間を持つこと

・カレンダーの赤い日にはSNSにほぼ参加しない

にしました

PMSに生理痛をもっているので
なかなか思うように動けなくなる
そのことをもう攻めないでいたい
それから
パートナーや家族との時間を大事にしたい
そういう想いから、です
新しい働き方や
このご時世
何を大事にして
どこに存在するのか

改めて、持ち直すときだと思います

福祉という現場

前々回
福祉のお仕事について少しふれました

いろんな方面の現場がある中
あたしは障害福祉を選びました
選んだ理由
楽しかったから、です
それでいて、そこに就職したいと思ったのは
一緒に生活するの、たのしいだろうなぁと感じたから
就職当時、未就学児から70歳くらいまでの方がおられたと思います
知的の障害と
肢体の障害
保育士と介護福祉士、双方の資格を持ったのは
このためでした

生活施設、でしたので
食事・排泄・移動・入浴…
援助は多岐にわたります
そして、さらに重要なのが《楽しみ》があること
旅行や
日々の楽しみ
このことは、初めて所属した棟で利用者さんが教えてくれたことです
あたしたちとなんら、変わらない生活を送る
障害という個性、をもって

『この人達はなんて思ってはるんやろ?』
その疑問を持ってほしい
機会を得て、ここにやってきたあなたたち新人さん
おかしいと思ったことは遠慮なく言ってほしい
長くいてると、当たり前になってしまっているから
これは初めての上司が始めにかけてくれた言葉

意思疎通ができるできないということ
利用者さんの身体の理解と
利用者さんによって異なる介助方法

理解を深めるために
観察と考察、そしてまた観察
そんな日々でした
つまり、それは
サービスを受ける人分の理解
そこを利用している人分、必要だったのです
最初の1年、四季折々でも変わるので
長い1年、アンテナは張りっぱなしでした

2年目以降は、というと
さらなる理解と
支える側のサービス統一について、考察が始まります

楽しいだけ、でなくなってきます
生活するって、そういうこと
死を受け入れることもあり
なるべく統一がいいけれど、そのことでぶつかることもあり
わかってるつもりであったり
時間に追われたり
『大変だよね』『すごいよね』といわれることに苦痛を感じたり
本当に、援助ができているのか…?
異動や利用者さんの移り変わり…

奥深い仕事であると同時に
熱中するあまり、無視と無理をしていました

この続きは改めて
少し、熱くなってしまった…
読んでいただきありがとうございました

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