筋肉痛

10年前の今日、未曾有の大災害が起きました。

東日本大震災です。

あの日は金曜日で、ふつうに出勤していました。
あの時間はイラストレーターさんと打ち合わせをしていました。

ゴゴゴ…と揺れが始まって、
あ、地震ですね……え?
普段の地震とは全く違う揺れ方で、
そろそろ収まるだろというタイミングで揺れが大きくなって慌てました。
あとから、ほぼ同時に2か所で発生していたことがわかって、あの揺れはそういうことかと。

幸い、社内に大きな被害はなく、せいぜいロッカーからゲラがなだれたくらいでした。
それでも念のため、と全員でひとまず靖国神社に避難し、ようすをみつつ、走っていく救急車の音や、上空を飛ぶヘリコプターの音に不安がつのりました。

子どもたちは小学校と保育所にいるから大丈夫だろう。
夫が自宅にいるけど、夫だけなら逃げられるだろう。
義父母も、たぶん大丈夫。
問題は、ひとり暮らしの父。
古い家だし、ひとりだし、携帯は繋がらないし。

神社の入り口にある電話ボックスから、なんとか夫に繋がったので、子どもたちと義父母の安否を確認してから、父のようすを見てきてほしいと伝えました。

そのころ父はというと、本人曰く。
「めちゃくちゃ揺れて、気がついたら財布とか入ったカバンと上着と帽子つかんで外にいた」
我にかえってから、最寄り駅に向かったそうです。
駅になら電話ボックスがあるから、と。
なんとか父と夫との連絡が取れ、父を含めて子どもたちともども義実家に集まって過ごしてくれました。
受け入れてくれた義父母には感謝しかありません。

問題は、都内にいた私でした。
あの日に限って、部長クラスがほぼ全員社外にいて、それぞれ打ち合わせや会議の最中でした。
部長たちは、電話が繋がらず、電車も止まり、会社に戻れなくてやきもきしていたそうです。
うちの社のメンバーはというと、そのときやっていた作業をきりのいいところでまとめ、取引先に安否確認のメールを入れ、当日の作業をどこまでやるか決めてから、それぞれ身の振り方を考えました。
そのころには東北が大変なことになっていたこともわかり、電車はまったく動かず、窓から見下ろす道路は大渋滞になっていました。

歩いて帰ろうと決心して、同じ方向に帰るというイラストレーターさんとともに会社を出発したのが18時。
まずやったのが、水やお茶の水分を確保すること、なんでもいいから食べるものを手に入れることでした。
おにぎりやパンはすでに売り切れていましたので、お煎餅やカロリーメイトを買いました。
それから、電池式の携帯充電器をゲット。これが役に立ちました。

会社から自宅までは40キロ以上。
道は大きな通りを行こうということで、靖国通りから国道6号へ入り、あとはひたすらまっすぐ。
どこまで行けるのか、道は無事なのか、橋は無事なのか、まったくわからないままの出発でした。

旅は道連れと、ふたりでいろいろなことを話しながら歩きました。
途中で自転車を買おうかという案も出ましたが、すでに高級品しか残っていなかったのであきらめました。
しかし、スニーカーではなかった私は、足が痛くなってきたので、スニーカーを買うために靴屋に入りました。
なんと、女性用のスニーカーも売り切れ(超高級品はありましたけど)。
高いのを買うか、あきらめるか……。
ここでひらめきました。

子ども用のスニーカーの、サイズが大きいのはありませんか?

お店の人もハッとして、すぐに出してきてくれました。
自分の足があまり大きくなくてよかったと思いました。

スニーカーに履き替えて、また出発。
歩きながら、TwitterやmixiといったSNSを通して、同じように歩いている友人や、その友人の家族、自分の家族たちと連絡をとることができました。

道端にある自動販売機が無料になったり
公衆電話が無料になったり
(受話器をあげると通話音がしました!)
トイレありますよと張り紙を貼っている家があったり
歩いている人にお煎餅を配っている人がいたり
「水戸街道こちら」という旗をもって歩いている人がいたり

大変なことが起こっているなか、
人のやさしさをたくさん感じながら歩きました。

そして歩くこと4時間半、東京都を抜け、千葉県に入りました。
千葉県に入ったとたん、携帯が通じるようになって驚きました。

さすがに足が限界で、とにかく松戸駅まで行って、あとはなんとか迎えに来てもらおうと夫に頼み、駅前のファミレスに転げこみました。
ファミレスでは、ドリンクバー代のみで何時間いてもいいです、と言ってもらえたので、夫の迎えを待つことができました。
イラストレーターさんも家族に連絡が取れて、同じようにお迎えを待つことに。
同じファミレスで友人とも合流できて、お互い無事でよかったとはなしました。

ここまで歩くこと5時間、20キロほどの行程でした。

2時間ほどして夫が到着し、友人も連れて地元へ戻ることができました。
イラストレーターさんも、もちろん無事に帰り着いたとのことで、ひと安心。
友人を途中で降ろし、家族の待つ義実家へたどり着いて、子どもたちの間にもぐりこんで泥のように眠りました。

翌日、ぐっすり寝て起き……

え、なにこれ……起きられない……?

なんと、全身筋肉痛になっていたのです。

ただ歩いただけのようでしたが、
全身に力が入っていたんですね、きっと。
心配と不安と緊張と焦りとでガチガチだったのでしょう。こんなこともあるのかと、別の意味で驚いたのでした。

あれから10年。

日本は何か変わったでしょうか。
少しはよい方向に進んでいるのでしょうか。

そう思えないことも多々ありますが
それでも前に進んでいかねばなりません。
この日が来るたび、心をあらためようと思うのです。

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