見出し画像

ネパールの、大黒天

今日は初甲子でしたので子の刻から大国神甲子祭を執り行なっていたら、意識がカトマンドゥにまで飛んで行ってしまいました。

そしてカトマンドゥという異国の地でたびたびお世話になっていた、大黒天を思い出すことになりました。巨大なご本尊の姿形もハッキリ見えていて、お堂の暗さと酒臭さまでが懐かしく、知らぬ間に涙がこぼれていました。

ちょうど吉日で何かのご縁なのでしょうから、ここに記憶を留めておきたいと思います。深夜に記す、とりとめもない文章なのでご容赦ください。

画像1

数千年前から、ネパールの首都カトマンドゥは、すでに聖地でした。

「行けばわかる」というのは卑怯な言い方だけど、グル・リンポチェ、阿闍梨シャーンタラクシタ、ティソンデツェン王のお三方が遠い過去世で三兄弟として転生した折、ボーダーナートの仏塔(バウッダ・ストゥーパ)を三兄弟がせっせと建立されたなんて逸話をたとえ知らなかったとしても、カトマンドゥに降り立ったときに感じる圧倒的な信仰濃度には、今でも目まいがしてくるでしょう。

画像3

そんなネパールの首都カトマンドゥの中心部分には、ラトナパークという広い公園があり、ここの端には巨大なマハーカーラ(大黒天)がお祀りされています。過去に何度もネパールの国土をお護りしてきた歴史のある、国家レベルの守護尊です。

「マハンカール・マンディル」という名のヒンドゥー教の廟ではありますが、チベット仏教、ネパール仏教と宗旨を超えた絶大な信仰があります。チベット語で「プータン・ゴンポ」と呼ばれます。

プータン・ゴンポは空からこの地へ飛来してきた(墜ちてきた)という伝説が残っています。

ここにはお酒と甘いお菓子をお供えすることになっています。マハーカーラの好物であるためです。
堂内の写真撮影は厳禁! お堂の外壁(巻頭写真)でご辛抱ください。
でもこの写真を見てるだけでも、プータン・ゴンポのお力がビシビシ伝わってくるのですが。

暗くて狭いお堂の中は、供養のお酒の匂いが充満しています。巨大なプータン・ゴンポの御尊像は、日本のいわゆる大黒様とはまったく異なるお姿をしています。「カワイイ」というのが第一印象なのは、クリクリの大きな御眼のせいかもしれません。実際はとても恐ろしい尊格なのですが、観音菩薩の忿怒の御姿でありますので、その本質は慈悲です。

チベット仏教では大黒天は護法尊であり、修行者にとっては帰依の対象というよりは「友」という位置づけです。チベットの先生からは大黒天の灌頂もいただいてはいますが、私にとっての大黒天は、今でもカトマンドゥのプータン・ゴンポなのです。

ネパールに滞在時、カトマンドゥ市内へたまに用事があって繰り出したときは、この廟には必ずお詣りしていました。知人も皆そうしていましたし、それが作法だったためです。

お蔭で、ネパール王室で虐殺があって軍がクーデターを起こして内乱状態になったときも、なんとか無事に生き延びることができました(数か月間、外出もできず情報も遮断されたおこもり状態が続きましたが)。
今でも「緊急事態宣言」と聞くと、軍隊と戦車が市内を占拠してたあのときの状況を思い出します。

以前にも書きましたが、土地とのご縁は、どこかで必ず還ってくるように思います。見えないところでつながっていて、何かの条件が発動すると、またご縁が生じるときがやってきます。
さらに過去に「お力」を借りていたら、それは何らかの形でお返ししないといけません。

土地との関係性で自分の人生が紡がれていくというのは、人として生まれてきた稀有な特性の1つなのかもしれません。産土神や氏神様、鎮守様を軽んじてはいけないのも、そのご恩を忘れてはいけないのも、蔭でずっと見守ってくださっていたご恩があるからでしょう。

画像2


巻頭の写真:ラトナパークのマハンカール・テンプル。
1枚目の写真:ボーダーナートの仏塔。
2枚目の写真:カトマンドゥ市のラトナパーク。
3枚目の写真:市内の喫茶店のチャエと、ミターイー(菓子)。

撮影:すべて気吹乃宮。

サポートは、気吹乃宮の御祭神および御本尊への御供物や供養に充てさせていただきます。またツォク供養や個別の祈願のときも、こちらをご利用ください。