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ダキニのツォクと、智慧

昨日(3/27)はチベット暦一月二十五日で、ダキニの御縁日に該当しましたため、午後3時よりダキニの御縁日のツォク供養を伴う一連の儀軌を執り行ないました。午後5時過ぎには無事満行しましたので、ご報告いたします。

今回は告知なしでしたが、それにも関わらずご賛同いただいた方には御礼申し上げます。今回も充実した供養と祈願をすることができました。

今回も「ロンチェン・ニンティク」の正統なる儀軌「ユムカ・デチェン・ギェルモ」(下の写真)を用いました。

以前にご紹介した「リクズィン・ドゥーパ」の対となる儀軌です。

「ユムカ・デチェン・ギェルモ」儀軌。筆者所蔵。

ダキニの御縁日だけあって、ダキニをご本尊としてお呼びするものですが、はたして日本でよく語られる荼吉尼だきに(荼枳尼天)と同じ存在を指しているのか、私にはわかりません。インド=チベット密教のダキニと近い存在は日本の寺社に見出したことがないため、お伝えするときにはいつも悩んでしまいます。

特徴の1つとして、特定の土地に結びつく存在ではなく(そういうダキニもチベットやブータンにはおられますが)、浄土に住まう方のためかもしれません。

日本では極楽浄土の信仰が盛んですが、今回の儀軌におけるダキニも同じく、妙観察智の「大楽が燃焼し調御する浄土」におられる智慧の象徴、諸仏の母になります。「母」というのは、仏陀は最終的に智慧によってお生まれになるからです。

輪廻を超越した智慧と、自在にコントロール・支配・懐柔できるという側面が、ダキニにはあります。

浄土に住まうダキニには眷属がいらっしゃり、それぞれ特定のお力を備えています。ダキニの儀軌は、行者が純粋に修行の向上(最終的には悟り)を希求するものと思われます。そのため世俗的なご利益まではわからないのですが、眷属たちが多くお働きになることはあるでしょう。

智慧を欠いた修行は、必ずや脇道に逸れたり、邪道に陥ります。智慧のない修行は「今世・来世で単に福徳を消費しておしまい」といった、一過性の消費で終わってしまうことがあるためです。

そこで修行者は常に智慧を伴いながら、同時に五波羅蜜はらみつ(布施・持戒・忍辱・精進・禅定)を実践していくわけです。

六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)の六番目が智慧だといっても、なにも智慧は最後の最後に手をつけるわけではありません。
むしろ智慧は一番最初から最後までずっと付き従っていなければならない、というのがインド=チベット仏教の見解です。

日本においても、在家でも「般若心経」を唱える理由の1つは、そこにあります。智慧と少しでも馴染むことで智慧の加護、すなわち仏母の加護を得るのです。

これは顕教的な見解ですが、密教ではもっと別の意味でダキニが重要になってきます。というのも密教の教えは、ダキニが管理していると考えられるからです。そのためには今回の儀軌(デチェンギェルモ=イェシェ・ツォギェル;巻頭の写真)のようなダキニをお祀りし、ダキニと御縁を深めることで、修行がうまく進むようサポートをしていただく必要があります。

詳細は書けないのですがこの儀軌には、浄土から召喚したダキニの眷属たちが軽やかに歌い踊りながら私自身の体に宿る観想を行ないます。どんなダキニが体のどの場所に宿って・・・といったプロセスを経て、自分自身も清浄になり、智慧のダキニと化すのです。こういう楽しく華やかな描写は、ダキニ独特です。

今回も寺に赴きまして、清明節のための準備を執り行ないました。先祖供養を申し込まれた方につきましては、ご返信したとおり、位牌を作成して安置してまいりました(写真ご希望の方はお知らせください)。


巻頭写真:デチェンギェルモ。ナムドゥルリン寺の壁画より。
上の写真:デチェンギェルモのトルマ(左)。
撮影:気吹乃宮

サポートは、気吹乃宮の御祭神および御本尊への御供物や供養に充てさせていただきます。またツォク供養や個別の祈願のときも、こちらをご利用ください。