結婚前だから / 自作ショート・ショート
「お前さあ、麻奈美って女知ってるか?」
かつてのバンド仲間の矢嶋さんからの電話に少しだけ悩み、すぐに思い出した。
「あっ、年末にバーで会って、あっちから誘いがあって、何度かデートしたんだけど、ここ一ヶ月は全然。どうかしたんですか?」
「岸田って知ってるだろう。うちのバンドの。」
「もちろん。岸やんでしょう。」
「それで岸田の兄貴の婚約者が、その麻奈美って子でさあ、お前がストーカーしてるって岸田がいうもんだから、まさかと思ったんだが、一応な。そうか、相手から誘われたんだな。」
「そうなんですけど、岸やんのお兄ちゃんの婚約者って…」
矢嶋さんはニヤリと笑って言った。
「嵌められたな。」
麻奈美に会ったのは、前の彼女と別れたばかりのクリスマス前。
飲んで励ましてくれてた友達が、たまたま左隣りにいる二人組の女性に声をかけて、メアドと電話を聞いたそのついでに、僕のメアドと電話を渡したのがきっかけだった。
その日の帰りタクシーの中で、すぐに麻奈美から電話があった。
「ねえ、今度食事でも行こうよ。」
「なんか俺別れたばっかりで元気ないし。」
「やっぱりもう一人の子の方が好みだったかな…」
「いやそんな事は…」
実際、麻奈美は派手ではなかったが、シャープで少しエキセントリックな顔立ちで、細めで好みのタイプだった。仕草から見て育ちがいい事も見てとれた。結局、クリスマス一週間前の平日の夜、デートする事に決まった。
カジュアルフレンチの店で、ワインを空けながら食事をする。麻奈美は広告代理店に勤めていて、父親は公認会計士でと、フランクに家の事や仕事の事を話してくれた。
ワインのボトルを二人で二本空け、気を使う事なく居心地がよく、食事の終わりに思い切り言ってみた。
「一緒に寝よっか?」
麻奈美は意外にもあっさりと答える。
「そうしよっ」
「えっ?」
「だって初めからそのつもりだったもの。」
そのままホテルに入る。服の脱ぎ方、モノの扱い方の端々に育ちの良さが見え隠れする。
しかし先にバスタブに浸かっている麻奈美は、後で入って来た僕のアレが、反応しているのを両手で掴み、すぐに口にくわえ入れた。そのギャップに驚く間もなく、繊細で大胆な愛撫を繰り返す。
ベッドではしかし、こちらの愛撫は恥じらい拒む。正常位での愛撫だけ、目をつむって堪能するように受け入れる。
深い吐息を繰り返し
「当たる…」
「溶ける…」
うっとりと目を閉じ、そして眠るように気を放ち、失神する。
不思議な魅力に惹かれ、二度、三度、と体を重ねた。
「初めからわかっていたの。貴方は引き出すのが上手よ。」
次のデートは、ほとんど寝る事もなく、丸二日間互いに貪るように愛しあった。互いが互いのエネルギーを高めあうように無限にできる。そんな感じだった。
そのデートの帰り、彼女は僕に向かっていった。
「私と結婚して。いまから両親に会って。」
「いや、それは急には無理だよ。」
「だって結婚してくれないなら、私には、来年結婚する事になってる相手がいるの。」
「なんだよそれ、無茶苦茶だよ。」
「私の事、好きでしょう。」
「もちろん。」
「でも、結婚してくれないんでしょう。じゃあ、もう会えない。結婚する相手に貴方の事も言うかも。私、貴方の事、前から知ってたの。」
「だから、訳がわからないよ。」
「わからなくていいの。さようなら。」
それっきり麻奈美からの連絡は途絶えた。
………
後日、
「ところでお前、その女とはやったのか」
「まあ…」
「そうか。まっ、岸田の事は任せとけ。しかしあれだな、女ってのは永遠の謎だな。」
落ち込む僕の肩を、矢嶋さんはポンッと叩いた。
それから数年後、麻奈美と婚約者がどうなったか、風の噂で聞いた。
そうなるだろう。
麻奈美の友達との寝物語で聞いたのだが、、僕との情交の一部始終を、麻奈美は婚約者に話をしたらしい。
実は一度、岸田の兄が怒り狂って僕に電話をかけてきた。
だが、僕は冷静に言った。
「俺は全くそんな事情は知らないから言われても困る。文句は麻奈美さんに直接言ったらいいし、話が信じられないなら、怒る必要もないだろう。」
しかし一方、両方の親と家を絡めた結婚は、すすんだ。
そして一年ともたず破綻した。
破綻したからいいようなものだ。破綻しなければ地獄だ。
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