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「電」の余波

まだ終わっていない

中目黒での個展を終え、早速次なるテーマの作品制作に入ろうとしたのですが、いや、まだ終わっていない、という内なる声が聞こえてきました。

新しいモチーフたち(漢字)も手ぐすね引いて待ってはいるのですが、暫しソレらは寝かしながら、もう少し「電」作品を書こうと思います。

個展「電」

そして、個展「電」(東京中目黒MDP GALLERY 2024/5.29〜6.2)にて展示した作品たち。
その記録としてそれらのキャプションをここに記しておきたいと思います。

「電 ーツタワル」
2024年
紙(銀泥宣)・墨
左 44.0cm×59.0cm       右 30.5cm×42.5cm

この世界に遍く存在する電子たち、
私たち人間に体の中にも存在し、瞬時にしてそれらが伝える信号は波となり伝わる。
目に見えるモノを媒体にしていようが、していなかろうが・・・           

「電 ーbe projected」
2024年
紙(銀泥宣)・墨
73.5.cm×99.5cm      

常に何かに映し出された影像を目にしている私たち現代人。
文字であれ、人であれ、景色であれ、
それは全て電子のなせる技によって映し出されたもの。
そして影像の外の風景ですら、網膜から電子信号によって
脳内スクリーンに映し出された影像にすぎない。
私たちはいったい何をみているんだろう。          
「電 ー電林」
2024年
紙(銀泥宣)・墨
133.0cm×112.0.cm      

この世界に遍く存在する電子たち、
それらは宇宙誕生の直後から現代に至るまで
気の遠くなるような時を経、居場所を変えながらこの世に存在し続ける。
そんな亡霊のような電子によって形作られているこの世界を想いながら、
私は筆を動かし続けた。


「電 ーツタワル」
2024年
紙(銀泥宣)・墨
左 103.0cm×27.5cm       右 107.0cm×91.0cm

この世界に遍く存在する電子たち、
私たち人間に体の中にも存在し、瞬時にしてそれらが伝える信号は波となり伝わる。
目に見えるモノを媒体にしていようが、していなかろうが・・・           

「電 ーDENJINS」
2024年
紙(銀泥宣)・墨

上「電神」85.0cm×69.5.cm      
下「電人」85.0cm×69.5cm

天に御坐(おわしま)す電神。
電は雷。
地に這いつくばって生きる人間
人のカラダも電だらけの電人。
電神と電人は響き合い、
呼応し合ってこの宇宙に存在し続ける。           

「電 ー電林」
2024年
紙(銀泥宣)・墨
136.0cm×280.0.cm      

この世界に遍く存在する電子たち、
それらは宇宙誕生の直後か現代に至るまで
気の遠くなるような時を経、居場所を変えながらこの世に存在し続ける。
そんな亡霊のような電子によって形作られているこの世界を想いながら、
私は筆を動かし続けた。

「電 ーツタワル」
2024年
紙(銀泥宣)・墨
上 39.5cm×69.5cm      
中 39.5cm×49.8cm
上 25.5cm×46.5cm      


この世界に遍く存在する電子たち、
私たち人間の体の中にも存在し、瞬時にしてそれらが伝える信号は波となり伝わる。
目に見えるモノを媒体にしていようが、していなかろうが・・・           

「電 ーツタワル」
2024年
紙(銀泥宣)・墨
左 45.2cm×27.6cm      
右 136.0cm×70.0cm            


この世界に遍く存在する電子たち、
それらが伝える信号は瞬時にして波となり伝わる。
モノからモノ、人から人、天から地、自由に行き来する電子たち。
人の思いや魂も電子に乗って伝播するのだろうか、
などと思いを巡らし電の字を書いた。

電 ーツタワル」
2024年
アクリルフィルム・アクリル絵の具
69.5cm×45.5cm      

この世界に遍く存在する電子たち、
しかしそれら電子と電子の間には、
途方もない距離があるという。
(電子たちにとって)
広い広い空間の中で孤独に存在する電を思い電の字を書いた。
書けば、それはそこに立ち現れた。


書けば、それはそこに立ち現れる


上にあげた最後の作品は、個展直前に書いた唯一の一字書。
書き終わったその作品をじっと眺めていて、ふとある言葉が浮かびました。

「書けば、それはそこに立ち現れる」

何か、書の深い大切なところに少し触れたような気がしました。
そのことをもう少し考えてみたいと思います。

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